楽屋の文雀師 

少し前の文楽劇場の楽屋は楽屋口の一番手前に先代玉男師匠、その隣が簑助師匠、廊下を右に折れて人形置き場の近くが文雀師匠でした。今も玉男部屋が二代目に引き継がれただけで、簑助、文雀師のお部屋は変わりませんが、その間のいくつかのお部屋はずいぶん出入りがありました。つまりこのお三方は動くことなく、周りだけが動いていったという感じでしょうか。
部屋の構造(収容人数など)もあるのでしょうが、文雀師だけが少し離れて、しかし確たる地位を感じさせる趣がありました。そんなお気持ではなかったのでしょうけれども、なんとなく

    孤高

を保っていらっしゃるような雰囲気も感じていました。
技芸だけでなく、博識で、特に首については何でもご存じというかたですが、楽屋ではあまり目立たないようにお見受けしておりました。あくまで私の印象ですのでいいかげんなものですが。
玉男、簑助両師はお弟子さんがとても多かったのに対して、文雀師匠は少なめで、直接のお弟子さんは長らく和生、和右のおふたりだけでした。
またお弟子さんのお名前も「文」でも「雀」でもなく、師匠のご本名由来の

    「和」

の字がつきますので玉男、簑助門下のように一見してお弟子さんとわかるわけではありませんでした。目立つ、目立たない、という意味では「玉」や「簑」のお名前が多いのに比べてやはり地味な感じがしました。

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そんな文雀師匠のお部屋に行ったのは実は一度だけなのです。大体私は楽屋のお部屋にお邪魔するというのが苦手で、廊下でお話しするのが基本です。楽屋の部屋の役割から考えると当然そこは人の出入りがありますし、着替えもなさいます。こちらがお邪魔しているのですから、落ち着いているわけには行きません。
ところが、文雀師匠が

    人間国宝

になられたときにお祝いの言葉(言葉だけですみませんでした)を申し上げるのにお邪魔したのでした。ほんとうにそれっきり、たった一度です。
とてもにこやかにお話しくださったのですが、なんだか緊張してしまって、どんなことをおっしゃったのかほとんど記憶にありません。昔のことをお話しになって、そのときお部屋にいらした

    桐竹小紋さん

に確かめていらっしゃったことを覚えているくらいです。
今後は和生さんが名実ともにあのお部屋の部屋頭になられるのでしょうか。早いうちに二代目を名乗られたらあのお部屋のたたずまいもあまり変わらないかなと思ったりします。
私はもうこのところ、文楽劇場に行ってもほとんど客席にいるだけで、めったに裏には行かなくなりました。お話もできませんし、からだの大きいのがうろうろするとお邪魔だろうとも思います(笑)し。
でもまた楽屋に行くことがあったら、玉男、簑助、少し離れて文雀という懐かしい部屋割りを見たいものだと思います。

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