シラバス、知らない 

大学の授業がどんどん窮屈になります。いわく自己点検、いわくシラバス、いわく15回の授業。
文部科学省の事実上の命令です。「文部科学省さまさま」の発想の人たちは教員にも何が何でも言うことを聞かせようとします。「そうしないと補助金が」という事なのかもしれません。私のような昔ながらの考えの無精者には首を傾げることが多いのです。自己点検というのはもう30年くらい前にさかんに言われ出しましたが、実際なんの実効があるのか私には不明です。いつも自分のしている仕事を点検しながら前に進むなんて、そんなこと

    あたりまえ

じゃないかと思うからです。授業アンケートなどというのがありますが、こんなの、私には役に立ったことがありません。私は普段から学生と綿密なコミュニケーションを取っていますので、いちいちおざなりのアンケートなんて書いてもらうことはありません。ただ、それをしないと文部科学省向けに顔が立たないのでしょうか、だらだらと続いています。
このアンケート結果に対して、教員はどう思うかを報告する義務があります。私は時間の無駄だと思いながらしかたなく答えていますが、実際は何もメリットを感じていないのです。もちろん有意義だと感じる教員もあるのでしょうから、その人にはとてもいいことなのだろうなとは思っていますけれども。
半期に15回の授業の

    義務

なんてほんとうにばかばかしい。その必要があるならそうすればいいし、そうでもなければそうしなくてもいい。それを一律に考えることに何の意味があるのか、「昔ながら」の「無精者」には「役所の発想」にしか見えません。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

シラバスというのもほんとうに発想が窮屈です。1月に次年度のすべての授業の内容を書くのですが、翌年度の何月の第何週にはこういう授業をしていますなんて、そんなこと、責任を持っては言えません。おまけに、それを書かせた上で「きちんと守ったかどうか」を年度末に「点検」させるのです。私は「義務」なので2016年度のシラバスを届けましたが、早くも4月第1週の授業内容を変えるつもりです。社会は動いていて、私自身も新たに勉強していて、話すべき内容はむしろ

    刻々と変化していく

方が当然だとすら思っています。「守ること」には意味がなく、むしろ「守らなかった」ことに意味がある場合も多いのです。その授業はそれだけ社会の動きに敏感に反応しているからです。文部科学大臣にそれを理解しろと言っても無理でしょう。大臣はおろか、文教族の議員や役人がなんと言おうと、現場で学生の顔を見ながら話をする教員としては、自分の考えを第一にするばかりです。
春休みに次年度のことを考えて勉強し、授業の構想を練っているうちにいくらか見えてくるものがあります。また、実際に授業で出会った学生の顔を見ればさらに変化していくのが当然です。

    事務処理上

は1月に次年度の全てのシラバスを出さないと間に合わないのでしょうが、あくまで事務処理上のことです。誰がなんと言おうと、新年度も大いにシラバスを破るつもりです。

スポンサーサイト

コメント

その目的は・・・

自己点検、シラバス、アンケート・・・

目的は、管理者が管理するためのもの。もしくは管理などしていなくても、なにか問題があったとき「ほらキチンと管理してますよ」という証拠を残すためのものかと思います。

そのため現場には要らぬ負担が加わわります。ほんらい授業のための準備や研究に充てるための時間を、それらの”作業”にとられているとしても、管理者は自分たちのために重要だと思っているのでしょうねぇ。




♪やたけたの熊さん

なんだか、この記事、かなり興奮して書いていますね、我ながら。
たぶん、3週間くらい前、不愉快なことがあったときに勢いに任せて書いたのだと思います。
不快になられた方がいらっしゃいましたらお詫び致します。
定められたルールをうまくいかせる心の広さがないのが私なので、そこが問題なのかも知れません。
ただ、こういうアイデアを出す方にはもう少し現場を想像する力が欲しいとも思っています。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3831-aaf1af3e