文楽の中の現代 

谷崎潤一郎は「私の見た大阪及び大阪人」の中で、東京の言葉は「説いて委曲を尽すのには一番便利であるけれども、純日本風の奥床しい女の言葉としては甚だ不向きである」と書いています。「さびしからずや道を説く君」ではありませんが、理屈を言うのにはふさわしくても、東京の言葉には品や情趣が不足していると感じているのでしょう。
私は大阪の言葉が使えません。関西弁は話せますが、大阪の言葉は語彙もイントネーションも私の範囲の外にあるのです。両親が大阪人なのに、なぜきちんと大阪言葉が身につかなかったのか、阪神間に居住することがその理由の一つだとは思いますが、それにしても不思議ですらあります。
そんな私ゆえに、あのやわらかな品のある

    上方言葉

を話す人がうらやましくてなりません。女性に限らず、京都や大阪の人が地元のきれいな言葉を使うのを聴いた時にはうっとりしたものです。噺家さんや文楽技芸員さんのうち、大阪出身の人たちが日常的にお遣いになる上方言葉はほんとうにきれいです。住大夫(住太夫と書くべき?)師も簑助師も。
谷崎は語彙や表現法のみならず声に注目して上方の言葉を分析しているのがすばらしいと思いました。谷崎は、声には自信があったらしく、若い頃から端唄や長唄がかなりうまかったのです。ところが、関西に移住して

    地唄

を習ってみるとうまく声が出ないのだそうです。年のせいかなと最初は思ったそうですが、江戸唄なら自由に声が出るので、「江戸唄と上方唄とは声の出所が違うのだということを痛切に感じた」そうです。

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「蓼喰う蟲」には四ツ橋や淡路の人形浄瑠璃が出てきますが、谷崎が文楽に傾倒したことはよく知られています。しかも彼は関西に長く住むことで、かつて東京人の目で見ていたときとは違ったものが見えてきたようです。文楽と現代大阪人(といっても昭和の初め頃)の関係は、黙阿弥の芝居と現代東京人の関係とは異なることを発見しています。
東京人は黙阿弥を見ても昔のものと思うだろうが、大阪人は文楽の中に

    現代

を見ている、谷崎の言葉をそのまま使いますと「自分の環境や生活感情に近いものがある」と感じ取っているのです。
谷崎は歌舞伎の「勘平腹切」などは嫌いなのだそうです。ところが関西に来て文楽で見ると「この辺の実写なのだ」と感じたそうで、今でも(繰り返しますが「今」は昭和の初めです)新口や壺坂や下市に行くと「孫右衛門や沢市や権太やお里の風貌に髣髴とした人々を見かける」とも言っています。
さらに谷崎は文楽人形の顔を見ていると「日常私が附き合っている土地の人の誰かに似ている」と感じ、特に老婆は

    市井に実在している

と断言しています。若葉内侍や八重垣姫は「阪神沿線に住むハイカラな夫人令嬢の目鼻立ちの下に皆あれが隠れているのだ」と言い、文楽と上方の人々の関係の深さに感じ入っています。ですから、お軽勘平でも清元の「道行旅路花聟」になると実生活とかけ離れていると述べます。
私も歌舞伎の「勘平腹切」はあまり好きではなく、このあたりの意見にはいちいち頷きながら、エッセイを読んでいました。

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