大震災の直後 

谷崎潤一郎は関東大震災をきっかけに関西に移住したのです。そのときのことも書いています。
彼はその夏、千代夫人や娘の鮎子さんと一緒に箱根の小涌谷のホテルに滞在していました。九月一日から鮎子さんの学校が始まるので八月二十九日にご家族は横浜山手の自宅に帰っていたのだそうです。そして八月三十一日に芦ノ湖に遊んだ谷崎は、翌日その湖畔のホテルからバスで小涌谷に戻ろうとして、その途中で震災に遭いました。わずか三日前に別れた家族を地震のまっただ中に返してしまった谷崎は、後悔しても仕方のないことながら、

    焼け野原

の中をさまようご家族を想像して暗澹たる思いをしたようです。
一刻も早く横浜に行きたいのですが、小涌谷から東京側には出られないということを聞いて、大阪行きの列車に乗ったそうです。神戸まで行って、船に乗って横浜に行くつもりだったのだとか。ところが緊急事態で、乗船のためには何やら証明書のようなものが必要だったらしく、数日間神戸、京都、大阪に滞在することを余儀なくされたのです。
その時、神戸と大阪では罹災者に対して援助の手が差し伸べられていて、特に梅田駅では手厚い処遇を受けられるようになっていたそうです。ところが京都駅ではまったくそういう気配がなく、不思議に思ったようです。
東京はもうダメだ、というので、

    都を関西に戻す

という噂が立っていて、京都の人はその点については喜んだのだろうと思うと、そうではなかったと言います。祗園の女将に聞いてみると、京都に都が戻ったら役人などが大挙やって来るだろうから、そんなのは御免だ、という意味のことを言ったそうです。

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谷崎はその様子を見て、京都の人が「どこまでも消極的に己を守ろうとする考え」を持っていることを再確認しました。京都の人は下手に贅沢をしているなどと言われないように早く店を閉めたりして(阪神大震災や東日本大震災のときも「自粛」ということが話題になりました)、京都の町は火が消えたように静まり返っていたとも証言しています。その点、積極的に支援している阪神間や大阪では明るい雰囲気もあったとのことで、

    大きな自然災害

の直後の人の心の動きを考える時、とても興味深いエピソードです。
谷崎のエッセイを読んで思ったことはまだまだあるのですが、この辺にしておきます。ここに書いてきたことは、実は4月の初めの授業で話そうと思っていることで、ブログの記事を書きながら授業の予習をしていたのです(笑)。
そもそも「陰翳礼賛」を読むことが目的だったのですが、それそれでとても勉強になり、かなりノートを取りました。
3月になって、ふとしたことから谷崎の本を借りてきて丁寧に読んでみて、いろいろと思うことがありました。学生時代にも

    多読の一環

としてこれらのエッセイは読んでいるのですが、まったく理解が出来ていなかったことに我ながらなさけなくなりました。学生時代は「自分はこれだけ本を読んだ」といいたいがために読んでいたのだろうな、と感じた次第です。やはりいい本は何度読んでもいいものです。

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