文学部の発想(2) 

先日、ツイッターで「中高の国語の教員免許を現代文と古文に分けて、現代文は国文科以外の教員も資格が取れるようにすべきだ」という意味のことをおっしゃる意見がリツイートされているのに目が止まりました。中学では「古文」というわけにはいかないので、事実上は高校でしょうね。
ツイッターなので、あまり詳しいことは分からないのですが、国文科の学生はものの考え方が

    論理的でなく、

現代文を中高生に教えるのにふさわしからぬ人が多い、というようなことだったように思います。その方は、哲学、社会学、法学などの学生も国語の資格を取れるようにすべきだとおっしゃっていました。その方への賛同コメントには「理系の国語教員もいいと思う」とも書かれていました。
なるほどおもしろいと思いました。私も、高校時代に文学部出身の数学教員がいたらもう少しわかりやすく説明してくれたかも知れないな、と、今になって思います。実際国立大学受験には文学部でも数学が必要ですから、文学部の学生でも数学のできる人なんてたくさんいます(私はできません)。逆に生物学を専攻した大学生に「理科」教員の資格を与えて何かのはずみで物理学を教えろということになっても「ほんとにできるの?」と疑ってしまいます。実は私の高校時代、そういう先生がいて、教科書を読むだけの「授業」をしていました。
先のツイッター氏の考えを私に当てはめてみますと、社会を歴史、政治経済、地理に分けて、国文科の学生にも

    歴史教員の資格

が取れるようにしてほしいと思わないでもありません。私は現代文より日本史の方が得意ですし、史料を読む訓練は史学科の学生には及ばないものの、必然的にさせられましたし。

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それならいっそ「高校教諭」という漠然とした資格にして、私は「古文」「漢文」「英語」「日本史」なら教えます、という申告制にでもしてしまえという話になりそうに思います。やはりそういうことを言い始めたら

    収拾がつかなくなる

でしょうね。
かのツイッター氏のお考えでひとつ気になるのは、国文科の学生はあまり論理的でないという意味のことが書かれていた点です。もちろんそういう人はいるでしょうが、それは国文科の学生に限ったことではありません。
私は学生から「文学部ってどんなことを勉強するんですか?」と訊かれることがあります。多分彼女たちも「小説なんて勝手に読めばいいのに、なぜ大学で勉強するのか」と疑問に思うのでしょう。
しかし国文科にいたものとして、論理的でなければ国文学なんてできないということは明言できます。
私も友だちと行った酒場で、論理的でも何でもない、生意気で安っぽい

    文学談義

をしましたが、勉強に関しては、論理的でないことをいうと先生にこっぴどく叱られます。普段優しい先生が鬼の形相で叱るのです。酒場での議論はむしろあまりにも論理的な考えに締め付けられていることへのストレス発散の意味があったのではないかと思うくらいです。酒場談義に関しては哲学や法学の学生も同じようなものでしょう。そこはどうか誤解しないでいただきたいのです。

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