熊本、大分(続) 

九州には久しく行っていません。平成3年雲仙普賢岳の火砕流で40人以上の方が亡くなったことがありました(さらに土石流も発生)が、あのしばらくあとに熊本から長崎を訪ねたことがあります。普賢岳の火砕流、土石流の爪痕を見て自然の脅威の一端を思い知らされました。
あのとき熊本は被害の対岸でした。しかし今回はもっとも強い被害を受けた当事者になってしまいました。

    火山列島

である日本全国、我々もいつ同じ目に遭うか分かりません。
私はかつて「関西には地震が少ない、大地震はない」という何の根拠もない風説を信じていて、あの阪神淡路大震災のときは「これは地震ではなく地球が壊れるのだろう」とすら思ったものでした。幸い私の住む地域は住居の倒壊はなく、近所に亡くなったかたもありませんでした。しかし目の前にある川の対岸では人も亡くなりましたし、隣の市ではもっと悲惨なことになっていました。一寸先は光明が射しているとは限らないのですね。
被害の大きかった神戸市長田区に住んでいた知人も多く、芦屋在住の教え子が亡くなったことを新聞で見て愕然としたこともまだ忘れられません。
地震は止められない。だから被害を最小限に抑える必要があります。今度の地震で、稼働している

    川内原発

の問題がまた浮上しました。いったいだれが安全と言いきれるのか。少なくとも安心できないことだけは間違いありません。物理的な安全と心理的な安心はともに守られねばなりません。

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我々は電気なしでは生活できなくなっています。電気なんていらない、とは私も言いません。しかし、ライトアップだ、イルミネーションだ、ネオンサインだ、ゲームだ、と絶対に必要と思えないものにまで使いたい放題に使い、無駄な電気をつけっ放す生活は何とか改められないものかと感じます。神戸のルミナリエはもうおやめになったらどうでしょうか。御堂筋のイチョウに

    電線を巻き付ける

のもやめたらどうですか。
地球の持っている資源の多くを、たかだかこの100年あまりの間に掘り尽くそうとしている現状は未来を見据えていると言えるのか。新しいエネルギーとして原発が動き始めたときは、不安とともに大きな期待があり、その期待が不安を打ち消しながらあの5年前の春までは何とか続けてきたのでしょう。でも、不安はもはや打ち消せなくなっているのですから、これ以上無謀なことをしなくて済むように生活の方を改めねばならないのだろうと思います。
私は貧しくて、冬でもめったに暖房器具を使わないような生活をしていますが、それでもまだまだ無駄はあると思っています。今年は少なくとも車通勤は控えることにします。
学生に歴史の話をするのは過去にこんなことがあったという知識を与えるためではありません。過去に学んで、未来を見据えて、今何をするかの

    知恵

を出すことを自ら考えるように促しているのです。「人間よ、もう止せ、こんな事は」。高村光太郎はぼろぼろな駝鳥のことだけをいっているのではないと思います。

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