松阪の一夜 

本居宣長(1730〜1801)という人に対しては尊敬よりも憧れを感ずるところがあります。いったいどれほど勉強したのだろうと不思議ですらあります。
大著『古事記伝』をはじめ、『源氏物語玉の小櫛』『古今和歌集遠鏡』『石上私淑言』『玉勝間』などあまたの著作をものしています。彼の業績がその後の古典文学研究に甚だ大きな影響を与えたことは申すまでもありません。
宣長は伊勢国松阪(三重県松坂市)の人です。今も松阪市には

    本居宣長記念館

があり、私は彼への憧れの気持ちから何度か訪問しました。私のような者とはあまりにも桁の違う偉人ですから、展示されているものを見ていると、ただただ「すごいなあ」と感心するばかりです。
宣長は会ったこともない賀茂真淵(かものまぶち)を陰ながら敬愛、あるいは崇拝していました。真淵は宣長より30歳以上年長の大先達で、「縣居(あがたい)」と号したため、宣長は「縣居大人(あがたいのうし)」と書いた掛け軸を掲げていました。私の教え子がスマホの待ち受けに「藤十郎先生」と書いているようなものですね(笑)。
宝暦十三年(1763)五月二十五日の宣長(当時三十四歳)の日記に「岡部衛士当所一宿[新上屋]始対面」という一節があります。「岡部衛士が旅宿の新上屋(しんじょうや)に一泊されたので初めて対面した」ということです。岡部衛士というのは誰のことかと言うと、これがほかならぬ賀茂真淵のことなのです。宣長はたまたま松阪に来た真淵先生に面会することが叶ったのです。日記には先の1行しか書いておらず、逆に彼が受けた感銘の大きさが感じられるようでもあります。この出会いは、

    「松阪の一夜」

と言われて佐佐木信綱が「中央公論」などに書き、尋常小学校の国語の読本にもわかりやすい形で掲載されてさらに有名になりました。

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以前書いたかもしれないのですが、大学院生のころ、名古屋でおこなわれた学会に参加しました。学会の本部が名古屋に置かれていたころでしたので、年に一度は「本部所在地」で開催されていたのです。いつも近鉄電車で(新幹線なんてもったいないので)行きましたが、このときは早めに切り上げて、松阪に寄ることにしました。もちろん目的は牛肉、じゃなくて宣長記念館です。
その時、びっくりすることがありました。宣長の資料を見ていると、背後から

    「よお」

という声がしたのです。松阪なんて知り合いはいません。一体誰だろうと振り向くと、恩師だったのです。
その先生も同じ学会帰りだったのだろう、とお思いかもしれませんが、違うのです。先生はちょっと体調のお悪い頃で、学会にはいらっしゃらなかったのです。でもその日はご気分も良かったのでしょう、奥様と宣長記念館を訪ねられたのでした。
普段から週に2度はお目にかかる先生ですから「奇遇ですね」で済むところなのですが、私は不思議な感銘を受けて、宣長と真淵になぞらえて

    「私の松阪の一夜」

と名付けています。帰りは、先生ご夫妻は特急、私は快速急行(特急なんて贅沢で・・・)。駅でお別れする時に奥様が「電車でお飲みなさい」と、つぶ入りオレンジジュース(!)をくださったことも忘れられません。
宣長の勉強のすごさからさらに別の話について書くつもりでしたが、つい思い出話に行ってしまいました。長くなりますので、本来書こうと思っていたことについては、また明日。

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