梯子を外す 

本居宣長は医者でした。医者と文学というのは珍しい組み合せではなくて、森鷗外も斎藤茂吉も北杜夫も渡辺淳一も医者で作家でした。
宣長は山桜が好きで、「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」とも詠んでいます。宣長の奥津城(墓)には桜が植えられていますが、ソメイヨシノではなく山桜。平安時代の人が見た桜で、見頃はソメイヨシノに遅れます。
松阪市の松阪城跡にある宣長記念館は、資料の展示はもちろん、復元された宣長の旧宅も興味深いものです。彼の家はもともと松阪の魚町にあったのですが、今は保存のために移築されているのです。この旧宅にはもちろん彼が学問に打ち込んだ部屋があります。

    鈴屋

と宣長自身が称したその部屋には、名の通り柱に鈴が掛けられ、勉強の合間に彼はそれを鳴らして心を癒したようです。宣長はことのほか鈴が好きで、ほかにもさまざまな鈴を持っていて、記念館で観ることもできます。私は学生時代に松阪市出身の女子学生さんから柱掛鈴のレプリカのおみやげをもらったことがあり、長い間それを勉強部屋に掛けていたのですが、宣長先生とは心がけが違いますので勉強は捗りませんでした。鈴屋は二階にあるのですが、元は

    物置

だったようで、屋根裏部屋のようなものに思えます。そこへは箱階段を上がっていくのですが、彼は勉強中にはその階段を外させたという話もあります。要するに下におりられないように自分を追いつめて勉強に没頭するためです。つい気が散ってあれもしよう、これもしようと思いがちになるのが人間の弱さですが、それを断ち切ったというわけです。
「できる人」というのは、どこか常人と違ったものを持っているようです。

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階段ならぬ「はしごを外す」というと、人をさんざん持ち上げておいて、あとになって態度を変えて孤立させることを言います。
最近の世の中を見ていると、こういう非道と言ってもよさそうなことがいかにも正義の顔をして行われているように思えてなりません。
人間は弱いものです。持ち上げられたらいくらかは調子に乗ってしまいます。
特にまだ理性や常識が確立しているとは言えない若者が

    はめをはずす

ことがあるのはむしろ当たり前の事だと思います。
私も人を見下すような生き方をしていたと思うことがあります。教師になりたてのころは、自分は何でも知っているかのように思い込み、自分には間違いがない、間違ったことは言わないとすら考えていました。思い起こせば冷や汗が出るほど恥ずかしいです。
さらに、若くして社会に認知され、名誉や多額の報酬を得る

    スポーツ選手

などになると、自分が偉大な人間になったかのように勘違いしやすく、傍若無人の振る舞いに至ることもあります。もちろんその振る舞いが他人に迷惑をかけるようなものであれば若いといっても許されるわけはありません。しかし、そうでない場合は、ある程度は大目に見つつ、抑えるところは抑えるような教育をしなければならないのでしょう。しかし現実はそうはいかず、むしろ、おだてるだけおだてておいて、何か問題があると梯子を外すかのように相手を咎めることに必死になるのが多くの「おとな」たちなのではないかと感じます。

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