悪文を書く 

文章のうまい人には憧れます。絵が描けるのも私には信じられない才能なのですが、文章は絵より身近ですので、よけいに憧れるのかもしれません。「身近」というのは、私も文章を書きながら生きているから、ということです。ただ私の場合は書いたものを売るのが目的ではありません、それによって直接収入を得る仕事ではないのです。もちろん書いたものを買ってもらった、というか、報酬を前提にものを書くことを依頼されたことはあります。
でも、自分の文章をうまいと思ったことはありません。それどころか、読み返してみて「なんだこれは?」と恥ずかしくなることが普通です。終刊することになった

    『上方芸能』

という雑誌が末長く利用されることを望んでいますが、できれば私の書いたものだけは外してほしいと思うくらいです。
ほんとうは読んで反省すべきなのですが、とても恥ずかしくて、最近は過去のものに見向きもしなくなってしまいました。中味が空疎、文章はおそまつ、これでは話にならないのです。
ときどき、以前書いた論文を引用されることがあって、その執筆者が

    礼状

のようなものをくださることがあります。その時はもう恥ずかしくて、「あなた、あんなものを信用したんですか?」と叫びたくなるほどです。これは謙遜ではないのです。自分の論に自信をお持ちの大先生とは違って、書いたものを読まれると思うとびくびくするくらいなのです。

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それでも文章指導をしなければならない立場にあります。
特に児童教育専攻の学生は彼女たちが文章指導する立場になるかも知れず、そうでなくても保護者に通信文を書くことはあるでしょうし、会議のまとめや報告文などを書くことも出てくるでしょう。そのためにはある程度の文章力がなければなりません。
私は自慢たらしいですが、その程度の文章力はあると思っています。ですから精一杯その力を彼女たちに注ぐようにしています。
その方法として、

    悪文

をまともな文章に直していく過程を学生の前で見せてみようかなと思うことがあります。つまり自分の書いた悪文をきれいにしていくのです。
私も、このブログの文章はさほどでもないのですが(笑)、専門の文章なら

    推敲

だけはかなり時間をかけています。多くの人の目に触れそうなものの場合は特にしつこいほど手を入れます。最初のものが40点の悪文だとすると、自分で直すだけでも60点や70点にはなると、うぬぼれかもしれませんが自信を持っています。
新聞にものを書いた時、自分なりにかなり添削したのですが、編集者さんがこうしてくれ、ああしてくれといろいろ言われ、なおも加筆しながら完成させました。編集者さんもあきれられたかもしれません。
しかし、悪文を書くということになると、これもさほど簡単なことではないかもしれません。そこで、このブログの文章をそのまま使おうかなと思ったりもしているのです(笑)。

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コメント

ずうずうしさの、手本となりにけり。

センセ、道長様は、お元気ですか?
センセが書かれた彼は、いかがお過ごしでしょうか?

(GWとは言え、浮かれた景気に貢献したくない・・)

切手無しで投函して下さいネ、なんて、決して申しておりません。(添付ファイルで有難いです。)

悪文の添削の前に、人間性の採点から、ササッとドロンします。(逃げるの、意)

  • [2016/05/03 16:44]
  • URL |
  • 押し得子です。
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

♪押し得子さん

あああ、そういえば道長のことを書きました。彼の宗教実践みたいなものでおもしろくないですよ。それでよければ送ります。
抜き刷りが余って仕方ないのです(笑)。

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