源氏物語逍遥(その1) 

ある雑誌から「王朝文学について何か書いてみないか」というお誘いをいただきました。短歌結社の雑誌で、その代表の先生をたまたま存じ上げており、以前そこに講演に呼ばれたことがあるというご縁によるのです。「平安時代文学でも、新古今集でも、近松でも、なんでもいいから」ということでした。私は近松などとても書く自信がありませんので、それはすぐに選択肢から外しました。新古今も勉強不足でとても対応できません。そこで、いくらか勉強しきて、かねてから書いてみたいと思っていた

    『源氏物語』

はどうでしょうかとおそるおそる打診してみました。するとOKが出ましたので、この1、2月に勉強してなんとか書き上げたのでした。たまたまツイッターで「書くことになった」とつぶやいたら、ある方から「どんなものなのか」というお尋ねをいただきました。けっして立派なものではないのですが、このブログの記事としてなら簡単にお目にかけることができますので、ここに公開致します。連載予定で、タイトルは

    源氏物語逍遥

としました。最初にこの雑誌への挨拶文を書いているのですが、以下に掲載するものはカットしていますので、冒頭がいささか唐突な感じがするかも知れません。また、ルビは雑誌では漢字の横に打っていますが、ここでは( )に入れてあります。長くなりますので、3回に分けてアップします。

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タイトル「源氏物語逍遥(1)いかまほしきは命」

 『源氏物語』の最初の巻である「桐壺」の梗概は次の通りです。
 帝の寵愛を一身に集めた桐壺更衣は、ほかの后妃から激しく妬まれる。更衣は玉のような男子を産むがその子が三歳の時に病が篤くなり死去する。帝は深く追慕するが、更衣に似た藤壷が入内するに及んで心が慰むようになる。美しく聡明に成長する男子は元服して源氏となり、左大臣の娘(葵の上)と結婚する。
 巻の名は、更衣となった按察使(あぜち)大納言の娘が内裏の淑景舎(しげいさ)を局(つぼね)としていたことに由来します。淑景舎は中庭に桐が植えられていたため「桐壺」とも呼ばれたのです。「更衣」とは本来天皇の着替えに奉仕する女官でしたが、やがて女御に次ぐ后妃の呼称となったものです。以下、この女性のことは「桐壺更衣」と書きます。
「桐壺巻」の冒頭は
  いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。
というものです。彼女はあまたの后妃の中でも抜きん出た寵愛を受けていたのです。こうなると、自分こそはと思い上がっていた人はもちろんのこと、彼女より出自の劣る更衣たちは心穏やかではいられず、妬んでは貶める事を繰り返し、あげくには彼女が帝に召されて清涼殿(天皇の日常の居所)に行く途中、示し合わせて嫌がらせまでするようになります。桐壺は内裏の東北隅にあり、どうしてもほかの女性たちの局の前を通らねばならなかったからです。一方、男性貴族たちも「めざましき御おぼえなり(正視に堪えないご寵愛だ)」と目を側(そば)めています。仮にも天皇の地位にある者が周囲の目も憚らず一人の更衣に愛情を募らせるというのは、政務に携わる者の常識からすれば異常ですらあったからです。貴族たちは「唐土(もろこし)ではこういうことから国が乱れたのだ」と、楊貴妃まで引き合いに出しかねないありさまです。玄宗皇帝が楊貴妃を偏愛したことが一因となって安史の乱が起こり、楊貴妃も命を落としたことは、白居易の「長恨歌」などを通して当時の知識人にはよく知られていたのです。彼らの不安にはなるほど一理あるでしょう。

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