源氏物語逍遥(その2) 

 『源氏物語』より少し前の村上天皇時代に藤原登子という女性がいました。『栄花物語』「月の宴」は、美貌で性質もよく華やかで色っぽい彼女を天皇が見初めたこと、入内させて昼夜を問わずそばに置き、天皇が政務をおろそかにしたこと、大臣の藤原実頼が「賢帝と思っていたのに・・」と嘆いたことなどを伝えています。
 では、桐壺更衣を寵愛し続けた帝もまた愚帝として描かれるのでしょうか。作者のまなざしはそうではなさそうです。
 平安時代中期の天皇は、常に内裏に在るもので、外出(いわゆる行幸)したとしても原則的に宿泊はせず、その暮らしは宮廷のしきたりにがんじがらめにされていました。権力にあぐらをかいて酒食に溺れていたような印象を持たれることもあると思うのですが、実際は政務も多忙で、恋愛も思うに任せず、結婚すらきわめて政治的なものでした。先走って申しますが、帝が桐壺更衣の産
んだ光源氏を皇室に留めず人臣としたことは結果的に彼を恋物語の世界に解き放つ役割も果たしたことになるでしょう。
 天皇の正式な結婚は、しかるべき家柄の娘が男子(将来の天皇)を産むことで外戚関係を築き、実家を繁栄させるという重責を担って送り出されてくるものでした。それだけに「あまたさぶらひける」という后妃の「数」は帝の心を満たし、愛の至福を保証するものではなかったともいえます。実際「桐壺巻」の后妃たちは桐壺更衣に陰惨な嫌がらせをするような人柄でしたから、帝の心はやすまりません。そんな帝が初めて出逢った、心から愛せる女性が桐壺更衣だったのです。では彼女だけをそこまで深く愛せた理由は何だったのでしょうか。たとえば彼女がひときわすぐれた美貌であったから、ということも考えられます。なるほど「いとにほひやかにうつくしげなる人(いかにも気品があってかわいい様子の人)」という描写はあります。しかし彼女は、物語からすぐに姿を消すという事情もありますが、思いのほか容貌を絶賛されることはないのです。

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 帝はうんざりするような宮廷秩序とそれによる公私にわたる束縛から自己を解放し、人間らしい生き方を庶幾したのではないでしょうか。高貴で神聖な立場にあるからこそ気ままな恋愛も自由な生活もできないという逆説とも矛盾ともいえそうな苦悶にさいなまれた帝は、激しいエネルギーを費やしてひとすじに更衣を愛したのだと思います。そして桐壺更衣の美質はもはや美貌にとどまるものではなく、「やすらぎ」とか「愛」としかいいようのないものを帝にもたらす全人的な魅力にあふれていたのでしょう。人間にとってもっとも大切な愛と天皇であるがゆえに無視できない宮廷の秩序のはざまで、帝はもがきつつも愛を重んじ、作者もまたそのことで帝を非難するようなことはしません。
 更衣を寵愛する帝に対して、男性貴族たちが目を側めたと申しましたが、作者はそれを「あいなく目を側め」と書いています。「あいなく」は「関係もないのに」「筋違いにも」という意味で「よけいなおせっかい」といってもよいかもしれません。作者は「秩序」の側にいるこの貴族たちに非難の鉾先を向けているようにすら見えるのです。それほどにこの物語にとって愛は至高のテーマなのです。もちろん、愛の裏返しである憎しみもまた重要な主題になります。
 白居易は「長恨歌」の中で、玄宗皇帝の楊貴妃寵愛が戦乱を導いたことは記していますが、後宮の三千もの女性たちの嫉妬については何も語りません。一方『源氏物語』の登場人物はいかに事態が深刻になっても、戦乱が起こるなどとはゆめゆめ思っていないはずです。しかし更衣は嫉妬とそれによる迫害によって死に追いやられているのです。嫉妬は時として戦乱より恐ろしい。「桐壺巻」は「長恨歌」の強い影響を受けて成立しました。しかし紫式部は「秩序と戦乱」ではなく「愛と憎悪」の世界を描いて止む事なく、かの長編詩を鮮やかに換骨奪胎してみせたのです。

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