源氏物語逍遥(その3) 

 帝と更衣の間には「世になくきよらなる玉の男みこ」が生まれます。将来の皇太子候補の筆頭にはすでに第一皇子(のちの朱雀院)がいますので、帝はこの無類の美しさを持つ子を「私(わたくし)もの」として愛しました。「私もの」とは、思いのままにかわいがる秘蔵子のことで、これまた宮廷の秩序からいくらかはみ出した次元で、天皇が一人の人間として愛情を注いでいることをいうのでしょう。
 帝の更衣母子への寵愛はさらに深まり、他の后妃の嫉妬も過激になります。光源氏が三歳になって袴着(はかまぎ。初めて袴を着け、幼児から少年になったことを祝う儀式)を終えると、更衣はその夏に重病に陥ります。当時は后妃といえども内裏で死ぬことはタブー(禁忌)で、重病になれば里邸(実家)に帰るのが掟でした。しかし帝はなかなか承知しません。ここでも宮廷の秩序と個人としての愛のせめぎ合いに苦しむ一人の男が描かれます。結局帝は「限りあれば(どうにもならない制約があるので)」と諦めざるを得ず、更衣は内裏を退出します。ここはぜひ原文で読んでいただきたい名場面ですが、帝は輦車(てぐるま)で退出することを許した上で、瀕死の更衣に向かって「さりとも打ち捨ててはえ行きやらじ(いくらなんでも私を捨てて先立ったりはなさらないでしょうね)」と言葉をかけます。すると更衣は息も絶え絶えに
  限りとて別るる道の悲しきに
    いかまほしきは命なりけり
  (抗いがたい寿命ゆえに別れて行かねばならない死出の道の悲しさにつけ、私は行きたい、いえ、生きたい、命長らえたいのでございます)
と詠むのです。『源氏物語』の和歌七百九十五首の嚆矢となる絶唱です。帝と更衣はかねてから「限りあらん道にも後れ先立たじ(寿命というものがあっても後れ先立つことなく一緒に死のう)」と約束をしていました。この誓詞、6・7・5になっていて、和歌の上の句のようにも読めませんか。それはともかく、右の歌はこの誓詞の「限り」「道」という語を用いながらも約束を違えて先立たざるを得ないことを深く悲しんだものです。「行かまほしき」に「生かまほしき」を掛けて生への執着をあらわにしていますが、それはもう二度とこの世で逢うことはないという悲痛な確信の裏返しであり、自分だけの命ではないと思いつめた心のあらわれでもあるでしょう。

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『孟津抄(もうしんしょう)』は「これほどまでおぼしめしてなげかせ給ふ程に、君のためにいかまほしきと也(これほどまで帝が気にかけて嘆いてくださるので、帝のために生きたいというのである)」と述べています。この歌に対する帝の返歌はありません。そんな余裕はなかったのでしょう。『花鳥余情(かちょうよせい。かちょうよじょう)』はその点について「御門の御返哥なきにて、御心も心ならずおぼしまどへるほどはしるべきなり(帝の御返歌がないことによって、心が動転して思い迷っていらっしゃることを理解すべきだ)」と言っています。
 帝はこのまま更衣の最期を見届けたいとすら思います。前述のようにこれは禁忌なのですが、この期に及んでなお帝は秩序と愛の間で葛藤し続けるのです。結局は「わりなく思ほしながら(こらえきれないほどつらいとお思いになりながら)」更衣を退出させるのですが、更衣はその夜のうちにあえなく息を引き取ることになるのです。

※『孟津抄』(九条稙通(くじょうたねみち)。一五七五年)『花鳥余情』(一条兼良(いちじょうかねら。いちじょうかねよし)。一四七二年)は『源氏物語』の注釈書。

★★★
以上が連載第一回の原稿です。もっとおもしろく書きたいのですが、やはりなかなか難しいです。くだんの短歌結社からは引き続き書くように言われており、第二回の原稿もおおむねできているのですが、他人に読んでいただく文章を書くことの厳しさを改めて感じているところです。

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