似合いませんが 

人に花を贈る、ということをしたことがあるかな?
そんなことを考えました。
いただいたというと、昔は謝恩会というのがありましたので、卒業する人たちからいただきました。あっ、思い出した。能勢町の浄瑠璃を書いたときも祝賀会かなにかでいただきました。簑助師匠がお隣で受け取られて(簑助師匠は人形の監修をされました)やたら緊張したことを覚えています。
で、贈ったことですが、どうも思いつきません。こういうことがさらりとできる人はやはりおしゃれなんだろうな、と思いますが、なにしろ不器用なものですから。
なんだか花というものが似合わないような気もします。自分が

    花束

を持っている姿も変な感じがしますし、贈る姿もイメージできません。
平安時代の貴族が花を贈るというと、和歌に添えることがありました。「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」という歌があり、橘は亡き人の思い出を偲ぶよすがにされました。そこで、四月の後半あたりに亡き人を偲ぶ機会があれば歌と橘の花を贈ることがありました。『和泉式部日記』という作品にはやはり故人を偲ぶのですが、橘の花だけを贈る場面も出てきます。梅の花を贈るのに「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」(あなた以外の誰に見せましょうか、この梅の花を。色も香も分かる人だけが分かるのですから)という歌を添えたのは

    紀友則

でした。この歌は『義経千本桜』「すしや」の弥助(維盛)を形容する「色も香も知る人ぞ知る優男」というところに引用されますね。

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私はおよそ「知る人ぞ知る」などという風流な人間ではありませんので、やはり花は似合わないかなと思います。
プランターで作っているのも野菜ばかり。風流より食い気です。ホームセンターに行ってもあまり花の種とか鉢植えなどには関心を持たないのです。
しかしこの冬から春にかけて、何となく家の庭に咲いている

    花を観る習慣

ができました。「あ、もう咲いている」とか「散っちゃった」などと考えるのも以前にはなかったことです。それどころか「へ〜、この家の庭にはこんな花が植えてあったのか」と今さらながら気づいたことが私の不風流を証明しています。
モクレン、梅、スミレ、花ニラ、沈丁花、タンポポ・・・
宝塚の花の道に花見に行っても、桜よりも草の花に目がいくことが多く、ちょっと趣味が変わってきたかなと思ったものです。
そんなある日、別の買物でホームセンターに行ったのですが、ふと

    グラジオラス

の球根が目に入りました。
そういえば大きめの植木鉢が余っていたな、と思い出し、なぜか「育ててみようかな」という気になりました。花を植えるなんて子どもの時に朝顔の種を蒔いて以来かもしれません。
そのグラジオラス、すくすくと育っていて、とても楽しみにしているのです。風流やな〜。

グラジオラス2016421
↑グラジオラス(4月21日)

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