朝の宝塚(3) 

宝来橋を右岸に渡ったところには与謝野晶子がこの川(武庫川)を詠んだ「武庫川の板の橋をばぬらすなり河鹿の声も月の光も」の歌碑もあって、なかなかしゃれています。晶子は宝塚歌劇の雑誌

    『歌劇』

の創刊号(1918年8月刊)にこの歌と「夕風は浅瀬の波をしろく吹き山をば重き墨いろに吹く」「風吹けば夜の川波に早がきの文字かく灯かな湯の窓にして」の三首を載せています。実際に歌が詠まれたのはその前年の6月で、鉄幹とともに阪神間を訪れた際、この宝来橋あたりで詠んだものだそうです。
橋から川下を見ると、朝日がきらきらと川面を照らしていて、大劇場を遠望することもできます。最近背の高いマンションができてしまって、大劇場が少し目立たなくなったのが残念です。

武庫川に映える朝日
↑武庫川に映える朝日(宝来橋から)

ここから宝塚南口駅に行く道がありますが、大きな旅館があり、あやしげなホテルもあります。そして駅のすぐそばにはもうすぐなくなるという

    宝塚ホテル

があります。歴史のあるホテルで、父がしばしば食事に連れて行ってくれましたし、兄はここで結婚式をしました。宝塚歌劇の生徒さんの「お茶会」も頻繁に催されています。朝日を浴びて聳えるこの姿がもうすぐ見られなくなるのかと思うとこれもまた残念でなりません。

朝の宝塚9
↑宝塚ホテル

歌劇場と同じ場所にあった動物園(ファミリーランド)はなくなりましたが、宝塚大橋、手塚治虫記念館、宝塚大劇場、宝来橋、宝塚ホテルなどは宝塚の近代文化の象徴のようなものだと思います。そして宝塚が全国に知られるのはこれらのおかげなのです。

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ついでに、武庫川を少し下ったあたりの朝の風景も載せておきます。
宝塚は歴史のない町だと申しましたが、古墳もあり、街道もあります。山陽道のような大きな道がないというだけで、実際は村落も古くからあったのです。植木の町としても有名です。
手塚治虫記念館の横に狭い道があります。武庫川から少し離れていますが、ほぼ川に沿った道です。最近このあたりに

    関西学院

の初等科ができて雰囲気が変わってきましたが、道の脇には以前のままに竹が生えていたりしています。

朝の宝塚3
↑伸びる竹

さらにしばらく歩くともうあの華やかさはありません。ごくふつうの田舎町といった雰囲気で、河川敷には野の花がかわいらしく咲いていました。

朝の宝塚4
↑河川敷の風景

川は次第に南向きになりますが、やがて宝塚新大橋が見えてきます。この橋は昭和35年に架けられたもので、それ以前のこのあたりはもっと寂れた地域だったのかもしれません。ただ、橋はなくても川の両岸を行き来するものはありました。舟です。

    伊孑志(いそし)の渡し

というものがあったらしく、いまはそのあたりに碑が建てられています。ここから右岸を望むと、はるか彼方には甲山(かぶとやま)という丸い山が見えます。標高は300mあまりなのですが、とても目立つ、このあたりのシンボルのような山なのです。

朝の宝塚5
↑伊孑志の渡し跡(中央やや右寄り奥の丸い山が甲山)

くだんの新大橋まで行ってそれを右岸のほうに渡るとき、朝日を背にして川上を眺めると、私の散歩コースの大半が広々と見渡せるのでした。

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♪管理人のみ……さん

拝読しました。鍵がついていて残念です~。

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