最後の『上方芸能』(2) 

『上方芸能』第200号の「449人が綴る別れのことば」は壮観という言葉が似合います。「主に文楽に関係のある方々」のお名前を探しただけでも、竹本住太夫、豊竹英太夫、鶴澤清介、吉田和生、桐竹勘十郎、吉田玉男、山田庄一、内山美樹子、鶴澤寛也、宮辻政夫、森田美芽、広谷鏡子、水田かや乃、中山正樹などといったお名前がありました。ほかにも文楽ファンの方々のメッセージもありましたし、広く芸能全般に造詣の深い大先生のお名前もあります。元編集部員で私の幼稚園文楽人形劇をプロデュースしてくださったかたも寄稿されていて嬉しかったです。
それぞれのかたの文章をここで引用するのは控えますが、こういう方が

    この雑誌を支えて

こられたのだなと思うと胸がいっぱいになります。そしてこういう方々がこの雑誌に出会われたことで逆に(口幅ったいですが)得られたものも多かったのではないだろうかとも推測しているのです。
「上方はなし」「上方」という雑誌がありました。これらの先輩雑誌の志を継承しつつ、いつしか号数で上回り、さらには「幕間」(197号まで継続)もとうとう上回って200号に到達されたのです。数は重要です。こういう性格の雑誌を200号も続けることがどれほど大変か、想像するとぞっとするくらいです。もちろん数だけの問題ではありません。木津川さんが落語会で配布した創刊号が会の終了後に捨てられていて、帰って行くお客さんに

    踏まれていた

そうです。それを見た木津川さんは随分悔しかったそうです。しかしそういうところから這い上がったものの力は強靭です。もっといいものを、さらにいいものをと内容は充実、向上して、惜しまれながら終刊となったのです。

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『上方芸能』第200号は1,650円(税込み)で発売中です。HPなどでご覧なってお求めください。7月29日まで『上方芸能』の編集部は事務所を今の京町堀に残すそうで、バックナンバーの注文も受けてくださるそうです。
森西代表(当時編集長)が「建物が傾いてたんが阪神大震災でまっすぐになったんちゃうか、て言うてるんです」と自虐していた狭くてきれいとは言いがたかった(笑)元の編集部。広瀬さんが、あまり出社しない森西さんの机にはさまれた

    「男前の写真」

を指差して見せてくれながら、しょっちゅうかかってくる電話の応対をしていた新しい編集部。あまり出入りはしなかったのですが、いくらかの思い出を私も持っています。
名残は尽きません。もう一度感謝のことばを繰り返しておきます。ほんとうに長い間ありがとうございました。
ところで、この第200号を送っていただいた封筒の中には「終刊のごあいさつ」というお手紙が挟まっていました。その最初の一節が

  1968年(昭和41年)の創刊以来

で始まっていて、いきなりずっこけました。いえ、非難しているのではないのです。こういう、どこかとぼけたようなところがあるのも『上方芸能』編集部のよさかもしれないと思うのです。最後まで「らしさ」がありました。
森西さん、広瀬さん、まだどこかでお目にかかれる日があることを楽しみにしています。「だしまきの夕べ」にも来てくださいね♪

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