初夏の遠足 パート2(3) 

奈良国立博物館のほか、この遠足にはもう一つの目的がありました。東大寺大仏殿に行きたかったのです。もう何年も観ていない盧遮那仏です。「今生の見納め」かどうかはともかく、大仏殿の内部をいろいろ細かく観たかったのです。
というのは、『信貴山縁起絵巻』の終盤にこの大仏殿が描かれており、つまりこの絵巻物ができた平安時代末期の様子が伝えられていますので、改めて今との違いを感じ取りたかったのです。ただ、『信貴山』の絵師が実物の大仏殿を観て描いたのか、

    絵手本

を参考にして机上で描いたのかはわかりません。しかし仮に絵手本を観たとしても、その絵手本はやはり古い大仏殿を観ながら描かれたものでしょうから、とても参考になります。普通大仏というのは見上げるものですが、私はむしろまっすぐ観たかったのです。言い換えると、低い位置に興味があったのです。
というわけで勇んで出かけたのですが、思いがけない「敵」(笑)がいました。修学旅行生です。次から次へとびっくりするくらい来ていました、やはり多かった外国人観光客とともに、行く手を遮られるほど。逃げ腰になった私は

    春日大社

などを先に観て、手向山神社や二月堂を経て大仏殿に戻ろうと思いました。そのころにはきっと人も減っているだろう、と、なんの根拠もない願いを抱きながら。しかし春日大社も人、人、人。多くは外国人や修学旅行生ですから、平日だから少ないなどということはないのですね。私は拝殿と回廊を観ただけで、中には入りませんでした。

若草山02
↑若草山

IMG_2686.jpg
↑春日大社の燈籠

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手向山八幡宮は人が少なく、落ち着きました。法華堂(三月堂)、四月堂を経て二月堂へ。私は修二会(お水取り)に一度だけ行ったことがあります。東大寺に顔の利く大先生のおはからいで、籠松明をながめるのではなく、練行衆が

    五体投地

などをしている堂内に入れてもらいました。女人禁制でした。女人禁制というのは差別というよりは、修行するのにどうしても女性がいると妨げになるから遠慮してほしいという意味合いがあるのだろうと思います。
その大先生は早くに亡くなりました。私は先生とご一緒したあの寒かったお水取りの夜を思い出しながら歩いてきました。二月堂の目の前には良弁杉。以前のものは台風で折れてしまいましたが、今も背の高い杉が聳えていて、お堂から杉越しに閼伽井屋や大仏殿の屋根も見えます。
さあ、もう人は少なくなったかなと改めて

    大仏殿

に向かいました。南大門から入って中門。人、人、人。やはりダメでした。私は割引があって、子ども料金で入れてもらいました。「小人」と書かれているチケットを持って行くのはなんとも恥ずかしいです(笑)。
大仏殿の前には創建当初の形を伝えているといわれる「八角燈籠」があります。このところ、京都国立博物館に置かれている複製ばかり観ていましたので、ほんものをぜひしっかり観ておこうと思いました。
この八角燈籠は「信貴山縁起絵巻」にも描かれており、あの時代の人と同じものを観ているのだと思うと感慨があります。しかし肝腎の大仏殿そのものは源平時代と戦国時代に二度焼かれて、ひとまわり小さくなっています。文化を守り続けることの大切さを改めて感じました。戦争は文化を破壊します。

手向山八幡宮
↑手向山八幡宮

二月堂から大仏殿など
↑二月堂から良弁杉、閼伽井屋、大仏殿などを見る

東大寺二月堂02
↑二月堂

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