六世豊竹呂太夫へ(3) 

太夫の襲名が難しくなっているように思います。
豊竹若子太夫が五世呂太夫を継がれたのが二十二歳。竹本綱子太夫も二十二歳で咲太夫に改名されました。それ以前の方で言うと、豊竹小松太夫(四世越路太夫)のつばめ太夫襲名は二十八歳、竹本津の子太夫(四世津太夫)の濱太夫襲名は二十五歳、豊竹古住太夫(七世住太夫)の九世竹本文字太夫襲名は三十五歳、竹本織の太夫(九世源太夫)の五世織太夫襲名は三十一歳でした。つまり初名から花形名になるのは二十代から三十代の頃だったのです。当時は入門が早いですから、その当時既に

    15年くらい

のキャリアはあったわけですが、それでも今とは比較にならない早さです。
竹本伊達路太夫さんが五世伊達太夫を襲名したのは六十歳、二世豊竹小松太夫さんは初名のまま、今も多くの太夫さんが師匠の名前に一字付けたお名前(松香、津駒、津国、文字久、呂勢など)やそうではなくても初名のまま(三輪、千歳など)で活動されています。何だか重苦しいです。
緑太夫さんはご存命なら今年六十六歳。きっと今ごろは「濱太夫」あるいは「津太夫」になっていらっしゃるだろうと想像はします。でも、この重苦しさの中では相変わらず「緑」の名を続けていらっしゃるかも、という気がしないでもありません。五世呂太夫さん(ご存命なら今年七十一歳)は実力から言えば十一代若太夫になってもよかった方だと思いますが、襲名が少なくなっていることとは別に、若太夫は継がれなかったのではないかと感じています。むしろ

    春太夫

のような華やかな名前が映るので、若系統とは別のいい名前を名乗っていらっしゃったかもしれないな、とも思います。

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では「若」の名は? 私の勝手な思い込みではありますが、呂太夫さんは「雄ちゃん」こと英太夫さんにこの名前を継がせたいと思われていたのではないでしょうか。そのためにも、と私はさらに推測するのですが、呂太夫さんは英さんをずいぶん指導されたようです。英さんがもっとも身近で信頼できる先輩が呂太夫さん。呂太夫さんが師匠への恩返しのためにもきちんと育て上げたいと思っていたのが英さん。こういう

    兄弟愛

がおふたりにはあったのではないかとも思います。それだけに英さんにとって呂太夫さんの早世は痛恨事だったはずです。
呂太夫さん亡き後、英太夫さんは祖父の名前を継ぐのが当然という空気の中で苦闘を続けていらっしゃったように思います。加齢によって声の大きさも維持しにくいでしょうし、上の方々がお元気だったため役場に恵まれなかったこともありました。もっと早く花形名を襲名されていたら、今ごろは機が熟して若太夫の声が上がっていたかもしれませんが、幕内の事情が分からない私が無責任なことを言う資格はありません。
英さんはその後、嶋師匠からずいぶん

    義太夫節の真髄

を学ばれたようです。嶋師匠は英さんが赤ん坊の頃、師匠のお孫さんということで子守をしたりしてくださった仲だそうで、それ以来の七十年近いおつきあいということになるのでしょう。呂太夫さん亡き後、英さんがもっとも信頼するお兄さんが嶋師匠、ということになるのだろうと思います。

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