弱い者は叩け 

この春、プランターにニンジンの種を蒔いてみました。時期がやや遅かったのですが、去年はナス科を植えましたので、ほかのものをと思って選んでみました。時期が遅いと暑くなり過ぎる可能性がありますので、果たしてうまくいくものかどうか、甚だ不安です。ただ、根が太るかどうか、食べられるかどうかは第一の目的ではないのです。「こいつ、また

    寝ぼけたこと

を言っている」と思われるかもしれませんが、私の価値は寝ぼけたことを言うことにありますので話を続けます。
ある程度育った苗をひとつ植えるのとは違って、種を蒔く場合はその植物の生涯をすべてみつめることになります。ニンジンは発芽率が低いのだそうで、発芽までの約1週間、きっちり水やりなどの世話をするのが大事なのだとか。もうひとつ大切なことは、発芽した個体すべてを育てるのではなく、

    間引き

をすることです。これをしないと成長するものもしなくなるので、心を鬼にして適宜抜いて行きます。「心を鬼に」なんて大げさに思われそうですが、実際そういう気分になるのです。間引きをする場合、あまりしっかりしていない、弱いものを選ぶことになります。弱いのだから仕方がない、強いものを生かすためには犠牲になってもらわねばならない、という理屈です。こんなふうに書くと、なんともやりきれない思いがします。つい、人間界に置き換えてしまうからです。しかしあえてそれを自分に課することを、ニンジンの種を蒔く目的の一つにしたのです。

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私が浄瑠璃の創作をする基本姿勢は理不尽にしいたげられる弱者に目を向けることにあります。ニンジンの芽は間引きせねばならないのですが、間引かれた若芽にとっては理不尽な仕打ち以外の何ものでもないと思います。私は間引きをされた経験を持つ人間ですので、平気でそのようなことをするブラック権力には強い怒りと憎しみを覚えます。今、私はあの若芽たちの憎しみの対象になっているわけです。
昨今、とはかぎらないかもしれませんが、実際は偉そうなことが言えるわけでもないのに、自分を「強いもの」の立場に置いて「弱いもの」を攻撃する風潮があります。相手が弱いと思ったらこれでもかと

    言葉の暴力

で叩きのめそうとする。若い化学の女性研究者さんがそうでしたし、週刊誌あたりに不倫を書き立てられる人たちも「強いもの」の餌食になっているとしか思えません。その他、こういう例はいくらでも挙げられるだろうと思います。ブラックな強者たちは無責任きわまりないと思います。
法的に自分が正しい立場にあると、少しでも間違ったことをする人を叩きのめすように貶める。ひどい人になると

    詭弁を弄して

いかに自分が法的に正しいかを述べたてた上で他人を愚弄する。法というものは、本来弱い者を守るためにあるはずなのに、それを逆に用いる人間が大きな顔をしているように感じます。権力を守るための法なんておよそ馬鹿げていますし、それを権力に任せて作ろうというのであれば本末転倒です。
プランターのニンジンの根は太ってきました。そのうちに収穫して、あの間引かれた若芽たちの分もいっしょに味わうつもりです。

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コメント

わたしも苦手です。

わたしも間引きが苦手です。
そんなこともあって、ことしも朝顔は昨年プランターに落ちた種が、今春自然に発芽したのをそのままにしています。きょうも9個の花をつけてくれました。

政治の本質をとっても簡単にいうならば「弱者を助けてなんぼ」ですよね。いつから強い者の味方になったのか。

いまからちょうど30年前。アメリカ・レーガン、イギリス・サッチャー、日本・中曽根の3人がそろってとった政策:新自由主義からではないかなとわたしは思っています。以来お金持ちはますます金持ちに、貧乏な人はますます貧乏になりました。

「規制緩和」「フリーター」という言葉が、まるで良いことのように広まっていくうちに、とんでもない格差社会になってしまいました。

東京都知事選で鳥越さんが「都政を都民にとりもどそう」と言っておられるようですが、「政治を国民に取り戻そう」と言いたいですね。

♪やたけたの熊さん

結局強いのはその朝顔くんですね。
私は経済のことは分からないのですが、正直者がバカを見るのは今や当たり前になっていて、だからこそ私はますます正直者を目指すようにしています。

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