天満あたりへ(1) 

大阪は梅田界隈がなんといってもにぎやか。その南、御堂筋沿いの淀屋橋、本町あたりはオフィス街です。御堂筋が栄えたのはやはりあの広い道ゆえ。道をどう設計するかという町造り文化が経済を発展させた例といえばいいのでしょうか。
その道に対する敬意は持ち続けたいものですが、私はどうも最近のあの木に電線を巻いた電飾が好きになれなくて、御堂筋にあまり行きたくないのです。特に冬場は昼も夜も興味がありません。
文楽劇場まで梅田から歩く時は、そんなわけで東側の

    堺筋

を南下することにしています。難波橋から南です。
先日、用があって谷町6丁目を目指すことになったのですが、いきなり行くのはもったいないので、今回はその難波橋から堺筋コースではなく谷町筋を目指しますので、さらに東側、梅田から天満橋辺りまで歩くことにしました。
さて、梅田から南、やや東寄りにおなじみの

    露天神社

があります。いわずもがなの「お初徳兵衛」の神社です。その少し東南には遊女かしくの法清寺、北に戻ってさらに少し東へ行くと太融寺や綱敷天神、北に戻らずに東に行くと堀川戎や成正寺(大塩平八郎の墓所)、ここまでいくと天神橋筋はもう少しです。ついでに天神橋筋を越えて東へ行くと山片蟠桃、篠崎小竹、緒方洪庵らの墓所が並ぶようにあります。
いろいろ回りたいのですが、暑い時期でもありますし、チェックポイントその1の堀川戎界隈を目指すことにしました

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昔の淀川、今の大川が都島橋を越えてなだらかに東寄りに流れを変えるあたりから堀川が南西に流れていました。今は阪神高速12号守口線が走っているところです。この堀川の西側にある堀川戎神社は、亡父の本籍地であった西天満にあります。当然ながら、私も子どもの頃は、この行ったことも見たこともないところが本籍地でした。この近くは今でこそ西天満○丁目という素っ気ない地名になっていますが、昔は「△△町」という名を持っていました。私の幼少時代はまだその「△△町」という名前が生きていて、このあたりは

    西堀川町

と言ったのです。父親は堀川戎の目の前の、こんなところに住んでいたことがあるのか、と、しばし感慨にふけったあと、時間もなかったため少し西側の道まで歩きました。実は、今回私は堀川戎神社そのものではなく、昔の富田町を目指していたのです。このあたりに昔常圓寺または常国寺という寺があったらしくその形跡を尋ねようとしたのです.その寺に何があったのかというと、

    初代豊竹呂太夫

の墓なのです。
しかし、もとの富田町であったあたりはもはやそのあとかたもなく、それらしい雰囲気もあまり感じられず、成果はありませんでした。初代呂太夫の墓は、今は四天王寺にあり、子孫の方がきちんと管理されているようです。確認していませんが、あるいは元の寺の墓を移されたものかもしれません。近いうちに四天王寺の墓にも参りたいと思っています。ちなみに、二代目呂太夫の墓は大阪平野区にある霊園にあり、こちらも二代目の子孫の方が管理されています。

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