天満あたりへ(2) 

和歌山に日本製薬という会社があり、ここが上西春天堂のあとを継いで「はらはら薬 翁丸」を製造しています。文字どおり腹の薬で、香附子(こうぶし)、黄柏(おおばく)、当薬(せんぶり)、木香(もっこう)、龍脳香(りゅうのこう)を成分とするものだそうです。今も売られているということは、なかなかいいものなのでしょう。上西家は、もとは近江の神社の家柄だそうですが、そこで伝承薬として用いられていたものを商品化して大坂

    天神橋筋一丁目

で天明二年(1782)に開業し、「はらはらぐすり〜」と声を挙げながら売り歩いたのだそうです。その本家の次男として天保十四年(1843)に生まれた上西吉兵衛は、大声自慢だったのでしょう、やがて素人として呂篤(「鶴澤叶聞書」によれば二代目)を名乗り、研鑽を積んだようです。そして明治七年に呂太夫と名乗ってデビュー、生涯その名を改めませんでした。この人が「はらはら屋」と通称されているのは、今も製造されているはらはら薬に由来すること、申すまでもありません。この人はとてつもない大音で、「鶴澤叶聞書」(茶谷半次郎)によると、御霊文楽座の客席にある高窓を通して、一丁南の瓦町まで

    大落としの声

が聞こえたと言います。二世古靱太夫(のちの山城少掾)話でも文楽座の東側の平野町へ出た東北の角まで聞こえたと言います(山口廣一『文楽の鑑賞』)。大げさな気もしますが、二人の証言で、しかも同じように100メートルほど先まで聞こえたと言っているので、ある程度信用できそうに思うのです。風に乗ったとしてもすごいものです。デビュー(道頓堀竹田芝居)が『御所桜堀川夜討』三段目で、この演目はかなりお得意だったそうです。

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天満宮を中心に繁栄したのであろう門前町にこういう薬屋さんがあって、売り声が響いていたのだ、と思うとなつかしいような不思議な気持ちになりました。もちろんもっと古くは『心中天網島』の治兵衛が紙屋を営んでいたのもこの界隈でした。
天満宮に行くと、なんとなくまたやたけたの熊さんが出没しているのに出会うのではないかと怯えていたのです(笑)が、今回は大丈夫でした(なにが大丈夫なんだか?)。
天満宮の門前には西山宗因の向栄庵跡もあります。宗因は談林派の総帥として知られ、西鶴はその門人です。

20160703西山宗因
↑向栄庵跡の碑

さてさらに南に行きます。天神橋と天満橋の間には青物市場がありました。大坂の市場というと、ここと堂島の米市場、雑喉場の魚市場が有名です。今は川沿いに南天満公園が広がりますが、ここには天満の子守唄の像もあります。
ねんねころいち 天満の市よ
 大根揃へて舟に積む
 舟に積んだらどこまで行きやる
 木津や難波の橋の下
 橋の下にはかもめがゐやる
 かもめとりたや竹ほしや

20160703天満の子守唄
↑天満の子守唄の像と碑

さらに東へ行くと都島区になり、藤田美術館のあるあたりはかつての網島大長寺のあったところです。しかしそこまで足は伸ばせませんでした。

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コメント

天満界隈

ばったりお会いできず、残念でした(笑)

道頓堀があんな下品な街になってしまって、わたしも天満界隈をうろうろすることが多くなりました。

上質な街は、歩いてるだけで気持ちがいいですね。藤十郎さんに、またばったりお会いできるかも(^_^)

♪やたけたの熊さん

何かおもしろいことやってないかな、とうろうろして、「あ、浪花座で○○さんの独演会をやってる。のぞいてみようか」という感覚で道頓堀に行けたのはいつの話だったのでしょうか。
落語が聴ける身の上なら、繁昌亭に通うのですが…。
またあのあたりでお目にかかれますように。

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