光源氏の孤独感(2) 

光源氏は須磨に謫居の日々を送っていた時も語り合う人が居ないことが何よりもつらかったようです。その気持ちは、口幅ったいですが、私にはよくわかるような気がします。
須磨で年を越した頃(光源氏二十七歳)、なんと、彼の親友でよきライバルでもあった

    宰相中将(かつての頭中将)

が都から訪ねてくれました。宰相中将は「もし須磨に行ったことが表沙汰になって咎められてもかまわない」という気持ちで出かけたのです。光源氏が感激したのは申すまでもありません。
今、住吉神社でかつての苦しい日々を思い出す光源氏は「もしここに彼が居てくれたら」と思うのです。もしいてくれたら「うち乱れ語り」合える(くつろいで思う存分語り合える)のですが、彼は致仕大臣(ちじのおとど。引退した大臣のこと)となって今回も来ていないのです。そこで光源氏はこの親友のことを

    「恋しく」

思うのです。紫式部はここであえて「恋」という言葉を用いています。実に的確だと思います。そのあと、光源氏は「入りたまひて、二の車にしのびて」和歌を送るのです。「入りたまひて」というのは人々から離れておくに入るのでしょう。舞や音楽を楽しんでいる人々とは精神面でまったく異なった次元にいることを自覚した彼は、いたたまれなくなって奥に入るのです。この「入りたまひて」という動作は何でもないことなのですが、これによって彼の心情が浮かび上がってきます。

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そして光源氏が和歌を送る相手は「二の車」です。このとき、「一の車」には紫の上と明石の女御が乗り、「二の車」には明石の尼君と明石の御方が乗ったのです。今、孤独感に陥った光源氏がかろうじて心を共有できるのは明石の尼君や明石の御方以外になかったのです。紫の上は光源氏の須磨、明石時代は京にいて、その実際の暮らしは知りません。光源氏は「二の車」に「しのびて」和歌を送ります。おおっぴらにできるような心理ではないのです。

  誰かまた心を知りて
   住吉の神代を経たる松に言問ふ


あの時のことを知るのは私のあなただけです、と言うのです。光源氏はこの歌を「御畳紙に」書きました。いわば懐紙です。あり合わせの紙です。これまた、この光源氏の行為が、あらかじめ予定したわけではなく、突然襲われた孤独感によってやむにやまれず、衝動的になされたものであることを表しているようです。
このとき、光源氏は四十六歳。とても若々しいのですが、やはりすでに

    老境

に入っているという年齢です。人生を振り返って、苦しい時期を思い起こし、その苦しみを今は誰とも共有できないのだ、という孤独を感じているのだろうと思います。
誰もがうらやむような人生を送っている光源氏ですらやはり孤独で寂しいのです。『源氏物語』は光源氏の栄耀栄華を賛美するものではないと思います。どんなに華やかな生き方をしていても、逆にどんなにつらい日々を送っていても、つまるところ同じように人間は孤独で弱い存在なのだと思わせます。
だからこそ、愛が欲しい、友が欲しい。光源氏は、すべての人間はそうやって生きているのでしょうか。

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