「呂」ふたたび 

「呂」(ろ、りょ)という文字について、その後もいろいろ考えていました。
『源氏物語』「若菜下」には光源氏と彼の息子の夕霧が音楽について話す場面があるのですが、そこで光源氏は

    律をば次のものにしたる

と言っています。呂に対して律は二次的なもの、という考えのようです。この当時の公的な場での音楽(正楽)では呂旋法が用いられることが多く、そのことと関わりがあるのかもしれません。
古来、春秋優劣論があります。『枕草子』はそれぞれによさを見出し、春はあけぼの、秋は夕暮れがよいと言いました。しかし、山もとに春霞の漂う水無瀬川を見た後鳥羽院は「夕べは秋がいいとどうして思ったのだろうか(春もいいではないか)」という歌を詠んでいます。
先の若菜下巻で、夕霧は音楽には春がよいと考えており、光源氏は「その春秋の優劣は昔から判断がつきかねている問題だから、我々風情に結論は出せない」と言いつつ「律が二次的なものというのはなるほどそのとおりだ」と言っているのです。ここで疑問が湧くのですが、春秋の話と呂律に何の関係があるのでしょうか。この疑問を解き明かそうと、『花鳥余情』という注釈書は

    「呂は春の調べ、

律は秋の調べといふか」と記しています。「呂」(=春)を「律」(=秋)より優位なものとすると、夕霧の言うように音楽に関しては春が秋よりふさわしいという理屈は成り立つということなのでしょう。
光源氏は夕霧の言うことにとりあえずの賛意を示しているのです。

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『源氏物語』「胡蝶巻」では「伽陵頻」(かりょうびん。壱越調、呂)の楽が奏されています。それが鶯のうららかな声に乗るようにして「いと華やかに聞きわたされて」と記されています。「御法巻」では「陵王」(壱越調、呂)が奏されますが、これについても「華やかににぎははしく」と書かれています。催馬楽の演奏に関しても、「『此殿』(このとの。呂)うち出でたる拍子、華やかなり」(初音巻)という描写があり、「呂」の楽は

    「華やか」

なもののようです。『庭訓抄』に「呂は悦びの声なり」とあるのを合わせ考えると、呂旋法とはどういうものなのかが浮かび上がってくるようです。
さて、江戸時代末期から明治にかけての希代の大音の太夫であった初世豊竹呂太夫は素人の時は「呂篤」を名のり、プロになってからはデビューの時から最後まで呂太夫で通した人です。この人は「呂」という文字にどんな

    思い入れ

があったのだろう、というのが気になるのです。何か書き残されたものや言い伝えがあるのかもしれませんが、私は知りません。ただ、偶然なのでしょうが、上に書いたような雅楽の「呂」の持つ意味とは、なかなかよく合っているような気がするのです。
そう思って代々の呂太夫を振り返ってみます。二世はタイプが違うかもしれませんが、三世(若太夫)は力でぐいぐい押してくる語りが得意だったようですし、四世(嶋太夫)や五世は、みなさんご存じのとおりの華やぎのある、三段目も四段目も行ける方です。そして、英太夫さんです。何も過去の呂太夫と同じでなければならないわけではありません。しかしこのかたも華のある語りのおできになる方です。どうか正真正銘の「呂」太夫となられますように。

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