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陰陽五行と音楽 

昨日の記事と重なるところがあると思います。

物事を2つに分けるのはわかりやすいものです。
中国からの影響で日本でも古くからさまざまなものを「陰」と「陽」に分ける考えがありました。月は陰で日は陽、水は陰で火は陽、女は陰で男は陽、偶数は陰、奇数は陽で、陽数の「九」が重なると九月九日は「重陽」になります。
また、木火土金水の五つを五行(「行」は運行すること。これら五つが循環することで万物ができる)と言って、これもいろいろなものに当てはめられました。
春=木、夏=火 土用=土、秋=金、冬=水であり、東=木、南=火 中央=土、西=金、北=水であり、青=木、朱=火 黄=土、白=金、玄=水。甲乙丙丁・・の十干はきのえ、きのと、ひのえ、ひのと・・ですから、き(木)、ひ(火)・・にそれぞれ「兄(え)」と「弟(と)」を付けたものです。

    「青春」「白秋」

などの言葉も生じ、古墳の壁画でもおなじみの、四方を守護するのが青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)ということになります。
日本に唐の音楽が伝わりましたが、それをそのまま受け入れるのではなく、次第に日本化することになりました。九世紀の前半(仁明天皇のころ)から半世紀以上をかけて、雅楽の日本化が進みました。例えば楽器です。「阮咸(げんかん)」「箜篌(くご)」「莫目(まくも)」など、あまり使わない楽器は捨ててしまって、

    十四種類

に減らしたそうです。日本化のためには新しい日本独自の曲を作ることも必要でした。そこで、民謡などに雅楽の旋律を付けて「催馬楽(さいばら)」として歌われたりもしました。

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そして音階の調子を簡素にして六種類にしました。壱越調、双調、太食調、平調、黄鐘調、盤渉調がそれです。その上で、前者三つを「呂」の音階、後者三つを「律」の音階として、「呂」を陰、「律」を陽としました。音楽にも陰陽があるのです。舞楽も二つに分けています。近衛の官人が舞楽に関わることになったこともあって、左近衛、右近衛にならって左右に分けられたのです。左方が陽で唐楽、右方が陰で高麗楽(こまがく)です。左方の舞には「迦陵頻(かりょうびん)」「陵王(りょうおう)」「青海波(せいがいは)」「春鶯囀(しゅんおうてん)」などがあり、右方の舞には「胡蝶」「納曾利(なそり)」「貴徳」「蘇利古(そりこ)」などがあります。童舞である

    迦陵頻と胡蝶

はセットになって舞われます。番舞(つがいまい)といいました。衣装も左方は赤系統、右方は青(緑)系統で、小道具は左方が金系統、右方が銀系統という具合に細かく左右対称になっています。
また、五行に関しても春は双調、夏は黄鐘調、秋は平調、冬は盤渉調、中央は壱越調に当てはめたりしています(源為憲の『口遊』)。双調は「呂」であり、平調は「律」とされましたから、

    春は「呂」

の調べ、秋は「律」の調べということになるのでしょう。
雅楽と義太夫を同一視するつもりはありませんし、単なる言葉の偶然を弄んでいるだけかもしれませんが、「呂」が春のものであるとするならば、春子太夫師匠門下で4月生まれの英太夫さんが「呂」になられるのはぴったりかもしれません。「英」(花房)から「呂」へ。どちらも偶然とはいえ、春を思わせるお名前です。五世呂太夫さんも華のある方でした(私はこの人には「春太夫」を名乗ってほしいとさえ思っていました。咲さんの「染太夫」と山の段を語ってほしかったのです)が、英さんも来年の「春」には祝福される「呂太夫」になっていただきたく存じます。

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