嫉妬とうはなり打ち(1) 

まだずいぶん先のことなのですが、例年の市民大学講座で何かお話しするようにという依頼がありました。今年は本来の専門分野の平安時代のお話をしようということで、『源氏物語』「葵」巻の六条御息所の執念について考えようと思いました。しかし、この話は有名ですし、私は無名の教員です。この場面に限定するとかえって私などの手には余ると考え、もう少し広く、女性たちの嫉妬の話にしようかと考え直しました。というよりは、「葵」巻を素材にした謡曲

    『葵上』

に言及することを考えたのです。そのうちに、そこに出てくる「うはなり打ちの御振舞」という一節から、さらにうはなり打ちを広く見てみようかと、どんどんイメージが広がっていったのです。
早速いろいろ資料を調べつつあるのですが、それをこのブログに書き留めて、秋の予習にしよう、早い話がブログをノート代わりにしよう(笑)と思いついたのです。
女性の嫉妬の話は男性の浮気の話とセットになって今も昔も登場します。人間、進歩がありません(笑)。

    『古事記』

に遡ると、嫉妬と言えばこの人、仁徳天皇の皇后の磐姫命(いはのひめのみこと。「石之日売命」など、書き方はいろいろあります)がいます。なにしろ皇后ですから、天皇周辺の女性たちもめったに逆らえません。なにしろ、ちょっとでも目立ったことをすると「足もあがかに妬みたまひき」(足をバタバタさせて妬まれた)というのですから。

にほんブログ村 演劇へ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

吉備国(岡山県)に黒日売という若くて美しい女性がいるというので、仁徳天皇は早速呼び寄せます。この男も困ったものです。ところが、黒日売は皇后の嫉妬を怖れてとっとと逃げ帰ります。すると、やめておけばいいのに、天皇は彼女の帰郷を惜しむ歌を詠みます。するとまた皇后は怒って、難波から船で帰ろうとしていた黒日売に「船ではなく歩いて帰れ」という命令を下したのです。仁徳天皇って、けっこう

    どうしようもない男

ですね。
「延喜天暦の治」という言葉をご存じでしょうか。十世紀初めの延喜(醍醐天皇)と十世紀半ばの天暦(村上天皇)の治世は天皇親政の時期として立派であった、というようなことを日本史の授業で学んだような気がします。この醍醐天皇という人はすさまじい数の女性を相手にした人で、子どもの数も数十人。学校の1クラス分くらいいたのです。名前、覚えられたのでしょうかね。もうひとりの村上天皇もかなりの女性好きです。『栄花物語』「月の宴」はこんな話を伝えます。天皇には、異母兄に重明親王という人がいたのですが、この人の歳の離れた奥さんに藤原師輔の娘、

    登子

という人がいました。彼女の姉の安子は中宮、つまり天皇の奥さんの最高の地位にあった人でした。そんな関係で、登子が内裏に来た時に天皇はちらっと見てしまい、これがもう妖艶きわまりない美人。天皇は何とか彼女に会いたいと、よりによって奥さんの安子に頼むのです。安子は「まあ、権力者の男ってそんなもんだし」、とでも思ったのか、最初のうちは自分のところに招く形で会わせてあげたのです。しかしそれでは済まないのが男のさがでした。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3958-426e3c81