嫉妬とうはなり打ち(5) 

『昔々物語』は「うはなりうち」について「今から百二、三十年前にはこういうことがあった」というのですが、この本は1732、3年頃の刊行ですから、そこから130を引くと江戸時代の初めのことになります。そして「以前はあった」というのですから、刊行時はもう見当たらない習慣だったと言うのでしょう。それにしても、いちいち口上の形式、内容まで決まっているのが、おもしろいと言えばおもしろいのです。
『昔々物語』は、最後に「相当打(そうとううち。「うはなりうち」のこと)に加わるよう頼まれる女は二度も三度も頼まれるもので、七十年ばかり前に八十歳くらいの老婆が『私は若い頃に

    十六度頼まれた』

といっていた」と記しています。このおばあさん、若い頃はかなりのアスリートだったのでしょう。女子レスリングに吉田さんという「霊長類最強」の人がいるそうですが、このおばあさんも負けていないのではないでしょうか。プロというわけではないかもしれませんが、「『うはなりうち 引き受けます』という看板でも出していたのでしょうか。あるいは「うはなりうちコンサルタント」のような人がいて仲介したのでしょうか。報酬があったと見るのはまんざら間違いではないと思うのですが。
『狂歌咄』にはこんな話もあります。教月上人という聖が国内各地を修行して回ったのですが、筑紫国のある里で「うはなり打ち」に出くわします。この上人、それを見て一首詠んだそうです。

  世の中に女の心すぐならば
   女牛(めうし)の角やぢやう木ならまし


女の心というものは、曲がっていて当然、嫉妬も当然、と諦観したような、しかし滑稽な一首です。女性のみなさん、失礼しました。私じゃありません、教月さんが詠んだのです。

にほんブログ村 演劇へ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

女性には言い分があるでしょう。「次々若い女に興味を持つ男が悪い」と。まったくそのとおりだと思いますが、それなら夫を打てばいいようにも思うのですが、なぜかターゲットは相手の女なのですね。
騒動の現場を描いた絵も残っています。
浮世絵師としても、黄表紙『江戸生艶気樺焼(えどうまれうはきのかばやき)』をはじめ、読本、合巻、洒落本などの作者としても活躍した

    山東京伝

は、今年没後200年を迎えました。彼の最晩年の随筆に『骨董集』があり、そこに絵入りで「うはなりうち」が取りあげられています。その絵には、たすきがけをして足もとを端折って、ざる、しゃもじ、鍋のふたなどの台所用品を振り回している、元の妻(「こなみ」と言いました)とその仲間と思われるカルテット、逃げようとしている人たち(右端に描かれる「うはなり」と尼姿の人物)、そしてそれを見ている野次馬たちが描かれています。

古画後妻打図3
↑古画後妻打圖(こぐわ うはなりうちのづ)

「うはなり」は上の右端にいる女性でしょうが、「こなみ」すなわち前妻はどの人物なのでしょうか。左右対称に考えるなら上の一番左端の女性かとも思えるのですが、その右にいるかなり高齢の人物がそれにあたるのかもしれません。ただ、この高齢女性は手練手管にたけている「ベテランうはなりうち闘士」のようにも見えるのですが、何とも言えません。
左下で左手を上げ、天を指差すようにしている人物は何か合図をしているようにも見えますがよくわかりません。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3964-92503cb4