立憲主義(2) 

政治や法に興味がないと言いながら、私は憲法のあり方についてはわずかながら関心があります。こまごまとした法は知らないのですが、憲法というのはその国の大まかな姿を示すものだからです。「憲法」と言いますが、「法」というよりは理念のようなものだと思っています。
民主主義は基本的には

    多数決

でしょうが、多数決の結果が正しいとは限りません。多数決で法律ができても、その法律が本当に国民にとって有益なものかどうかは、場合によってはその人たちの人生が終わったあとで分かることもあると思います。あとになって「あんな法を作るんじゃなかった」「あんな政党を支持するんじゃなかった」という例はいくらでもありますし、「戦争だ、鬼畜米英を打ち破れ」というスローガンが正しかったと思う人は今は少数派のはずです。
また、多数を救うためには

    少数が犠牲

になっても仕方がないという考え方があります。10人の人がいて、9つのものを分けなければならないとした場合、たまたま気の弱いAさんという人が「あなた、我慢してください」と言われ、ほかの9人の人が「そうだそうだ、Aさんが我慢すべきだ」といったら多数決でAさんはひどい目に遭ってしまいます。
「それは人の道に反しているでしょう」といったところで、「多数決です」「民主主義です」「法的に問題ありません」という理屈が通ってしまう世の中。私はおかしいと思います。

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そこで壁になってくれるのが憲法(constitution)だろうと思います。憲法に反することはいくら多数決でもダメです。権力者が手前勝手な法を作ろうとしても憲法の姿勢に反するものはできません。
constitutionalismすなわち

    立憲主義

という考え方です。国会議員はそのことをよくわかっているはずです(分かっていない人もいるでしょうけれど)。
私は個々の法についてこれは立憲主義に反する法だと指摘する能力はありませんし、そういうことをするつもりもありません。それはみなさんのほうがお詳しいと思いますから。
私が関心を持っているのは学校の運営です。経済的に苦しい状況の学校ほど、考え方がブラック企業のようになっています。それが自らの首を絞めるものだということを知らずに、「経営の観点」(要するに「お金」)という企業の発想に理事たちが服従するという構図なのではないでしょうか。彼ら曰く「お金がないと教育もできないのですよ」。
学校には創立時の高邁な理念があります。「自由と平等」とか「友愛の精神」だとか。これはいわば

    学校の憲法

だと思います。ところが、そういう理念などあってなきがごとし。その「憲法」に違反してでも平気な学校があるように思います。目の前の「経営の危機」はごまかせても、所詮未来のない学校だと思います。私は返事をします。「教育もろくにできない学校はお金も入らないのですよ」。
法は分かりませんが、立憲主義を学校に置き換えて考えることがあります。

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