『源氏物語』逍遥ー虫の音しげき浅茅生ー(2) 

 帝のやさしさが夕月の光なら、娘を失った母君の悲痛な心は八重葎(やへむぐら)に喩えられているようです。多くの蔓草の意を持つ「八重葎」は、むしろ「荒れた家」の比喩として用いられることの多い語です。母君は娘に恥をかかせないためにも精一杯家を手入れしていたのですが、今は悲しみに暮れてそれどころではありません。
  草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月
  影ばかりぞ八重葎にも障(さは)らず射し入りたる。
 手入れされない庭の草が背丈を伸ばし、それが野分で荒らされたのだろうと命婦は哀しみを覚えます。しかしその八重葎にもさえぎられることなく月の光が射し込んでいるのです。藤原兼輔の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな(親の心は闇ではないけれど、子を思うと闇路に迷うように惑乱するばかりだ)」(『後撰和歌集』)というきわめて有名な一首によって、親の気持ちはしばしば「闇」に喩えられます。その闇の中で八重葎のように荒れすさんだ心を癒しかねている母君に「月影」のような帝のいたわりが届くのです。命婦は母君に若宮とともに参内せよという帝の言葉を伝え、手紙を渡します。すると母君は「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ(目もくらんでいますが、このように畏れ多いお言葉を光として拝見いたします)」と言います。闇の中の八重葎に射し込む月の光のように仰せ言を受け止めているのでしょう。
 帝からの手紙にはこんな歌が書かれていました。
  宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ
  (露を吹き飛ばしたり結んだりする風の音を聞いていると
  小萩のような若宮がどうしているかが気になって思いやる
  ばかりです)

にほんブログ村 演劇へ
 ↑応援よろしく!

kgaeonrjuiをフォローしましょう

 母君を思いやりつつ、物語の主人公を舞台にいざなうような和歌もいえそうです。若宮が内裏に戻りたそうにしていることを母君が伝えると、帝に報告しなければならない命婦は夜が更けそうだからと心がせきます。母君はなおも繰り言を続け、ついに夜が更けてしまいます。
  月は入り方の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなり
  て、草むらの虫の声々も催し顔なるも、いと立ち離れにく
  き草のもとなり。
  (月はそろそろ沈む頃になって、空はとても清く一面澄ん
   でいるのだが、風はたいそう涼しくなって、草むらの虫
   の音も涙を誘うようなもので、なんとも立ち離れにくい、
   草のあたりなのである)
 月が沈みそうな時刻です。仮に五日の月とすると、夜の九時前後、七日であれば十一時近いでしょう。右の文をよく見ますと、上方の「空」、中ほどの「風」、下方の「虫」という具合に描かれるものの位置が次第に低くなっていきます。また視覚(空)、触覚(風)、聴覚(虫の声)と、訴えかけられる感覚も多様なのです。空を見上げ、肌で風を感じ、耳は地上から湧き上がってくる虫に傾けられ、そのすべてにあわれを感じずにいられない命婦がその場を離れがたいのは当然かもしれません。
  鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな
  (鈴虫が声の限り鳴き尽くしても、秋の夜長をいつ
  までも降り注ぐ涙です)
 命婦が虫の声に誘われるように詠んだ一首です。鈴虫は今の松虫を指すという説もありますが、皆様はどちらがふさわしいとお感じになるでしょうか。「ふる」は涙が「降る」に「鈴」の縁で「振る」を掛けています。
 母君の返歌は次のようなものでした。
  いとどしく虫の音しげき浅茅生(あさぢふ)に露置きそふる雲の上人
  (それでなくても虫の音の絶えないこの荒れ果てた住まい
  ですのに、さらに露を置き加えなさる雲上の御方ですこと)

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3969-a83fae28