講座を終えて(3) 

鹿という動物は、今や都会で見ることはありません。ものを知らない子どもだった私は、小学校の頃は鹿は奈良にしかいないものだと思っていたかもしれません。もちろん今でも山の中に行けば野生の鹿はいるわけで、高速道路の標識には鹿の横断に注意、というものもあります。
昔、鹿は狩猟の対象となっていました。貴族などが「獣肉は食べない」などと気取っている時代にも、鹿は例外。夫が明日狩りに行くと言うのを聞いた和泉式部は鹿の鳴く声を耳にして、

  ことわりやいかでか鹿の鳴かざらむ
    今宵かぎりの命と思へば

と詠みました。今夜限りの命と思っているから、鹿が鳴くのも当然だというわけです。鹿の声はどこか切ないのです。
庶民、しかも山住みの人たちは、農業もしたでしょうが、狩猟も大事な仕事でした。海の近くなら海産物もありますが、山では動物性タンパクというとウサギや鳥やイノシシなどと並んで鹿は大事な食糧だったのだろうと思います。また、鹿には他の用途もあります。その革が役に立つのです。これを干して衣料にすることができました。冬などは軽くて温かいコートとして重宝したのではないでしょうか。また馬に乗るときなどに腰から下を覆う

    行縢(むかばき)

には鹿の皮を用いるのが基本です(布を使うこともありましたが)。荷物の覆いにも鹿革は用いられました。このように、肉だけでなく、大きさも適当だった革も大変役に立ったため、鹿は狩の対象として重要だったのだろうと思います。

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『源氏物語』の講座と並行して実施しているのが絵巻物を読む講座です。この前期は『粉河寺縁起絵巻』でした。この絵巻物は残念ながら火災(戦災かと思われます)でかなり焼損しており、とくに巻頭のあたりはかなり失われてしまいました。早いうちに複製を作っておいてくれたら、と意味のない繰り言を言いたくなるのですが、そのために内容もはっきりしない部分がありますし、

    断片

として残っているところはどうつながるのか分からないことも少なくないのです。詞書もかなり失われており、意味の通じないところがあり、似た話を伝えている他の資料によって類推するほかはありません。この講座では、そういうところを卯巧者のみなさんと一緒に考えるようなことをしまして、少しは目安のついたところもありました。
さて、この絵巻はこんな話です。
紀伊国那賀郡に住む猟師がいつものように鹿を狙っていたら何やら怪しげな光が見えるのです。あれは何だろうと思って行ってみると光はなくなる。離れるとまた光る。何とも不思議なもので、彼はこのとき、かねてから望んでいた庵のお堂をこの場に建てようと決心したのです。ひごろ

    殺生を繰り返している

自分にいくらかでも嫌気がさしていたのかもしれません。
しかし堂を建てたものの、その中に安置する仏像がありません。じぶんで造ることもできませんから困っていました。ある日、童の行者が宿を貸してほしいといって訪ねてきます。それを承知すると、行者はお礼に何かしたいが、望むことはあるか、と問います。猟師が仏像の話をすると、行者は「自分は仏師だから七日で造ってあげよう」といってその草庵に籠ります。

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