夏の終わり 

季節はいつ始まりいつ終わるというものではありません。暦では八月上旬に立秋があって秋が始まるのですが、まだまだそういう実感はありません。しかし、十日ほどあとのお盆の頃になると、秋の始めというのではないのですが、夏の終わりを感じることがあります。ぼんやりと季節は移ります。
広島や長崎の原爆記念日があり、お盆になり、とどめをさすように終戦の日。突拍子もないことをいいますが、仮に他の季節だったら終戦はもう少し長引いたのではないかと、いいかげんなことを思ったりしています。
夏の終わりだから、お盆だから、もう秋になるのだから、この季節感が

    終戦を決めた

と考えるのはばかげているようなそうでもないような気がしています。
もう何もかもがいやになるような、うだるような暑さ。それがやっと終わりに近づいた。もうやめよう、こんなことはもうやめよう、と昭和天皇も思ったのではないか。いや、思ったというよりは自分でも気がつかないうちにそれを感じていたのではないか。
私はこの時期になると毎年思い出すのが京都の

    百万遍

でおこなわれた『御堂関白記』(藤原道長の日記)を注釈する研究会です。京都にあった古代学協会が主催して、もうお名前を書いてもいいと思います、山中裕先生を中心に開かれていたのです。歴史学の先生はもちろん、国文学の先生もお出でになり、若手では関東、関西から、やはり歴史学、文学双方の専攻学生が集まってきました。
最初に参加したときは何もわからず、こんな難しい研究会にはついていけないと頭を抱えたのですが、山中先生が声をかけてくださり、熱心に指導してくださったこともあって、なんとか一番後ろからついていったのでした。

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その研究会は先生のご希望で必ず京都五山の送り火の日を含む一週間ということになっていました。今年なら15日に始まって20日が最終日ということになります。そして送り火の日は会場のビルの屋上でおもに「大文字」と「妙法」を見ました。
先生や友人たちと一緒にあまり話もせずに眺める五山の送り火には、独特の

    寂しさ

を感じさせられました。花火とは違って何も言わずに燃えては消えていく火。命の儚さや輪廻を感じずにはいられませんでした。翌日もまた同じように勉強するのですが、なんだかその前の日とは違った気分になったものでした。
『御堂関白記』は藤原道長の日記ですが、そういう古いものを読んでは注釈していく地味な仕事です。私は途中からの参加なのですが、おそらく注釈作業は先生の50歳ころから始まって完成まで

    35年くらい

かかったのではないでしょうか。
その時間は長いとも言えますが、道長の生きた時代からは1000年経っているのですから、それに比べればほんの一瞬かもしれません。その間、ずっと繰り返し繰り返し命は続いてきて、道長の日記も子孫が代々受け継いで守ってきたのです。先生はすでに鬼籍に入られましたが、私たちの世代がそれを受け継ぎ、またそれを次の世代に受け継いでもらいます。
毎年この時期になるとそんなことを思うのです。

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