天皇の退位(1) 

天皇が、象徴としてはたらきが十分にできないというから退位したいという意向を持っているらしい。そんな報道があり、1か月前の8月8日午後に天皇自身の肉声による国民へのメッセージが録画されたものとして出されました。肉声と言っても私は活字になったものを読んだだけですが、その気持ちはよくわかるような気がします。
平安時代に花山(かざん)天皇という人がいました。この人は十七歳で即位したのですが、そのとき母方の祖父(外祖父)であった藤原伊尹はすでに故人で、外祖父が後見人として重要な位置を占めた時代にあっては

    後ろ盾

が危うかったことになります。かろうじて伊尹の息子が後見していたのですが、まだ経験も浅く、結局天皇は藤原兼家の陰謀によって二年足らずのちに十九歳で皇位を追われ(形の上では自分の意志で出家、退位した)てしまいます。兼家は自分の孫が天皇になる、すなわち自分が外祖父となって強大な権力を握ることを望んでいました。しかも自分はもう50代の後半でいつどうなるか分からないという焦りもあったのでしょう。それにしても、そんなことで天皇の地位を下ろされることがあり得たのです。

    貴族政治

の困ったところです。もっとも今の時代も貴族政治みたいなものですから大差ないのですけれどもね。天皇が生前退位するというのは、当時はむしろ当たり前の事でした。例えば重病になった場合は、仏の加護を得るために出家することが多く、当然天皇は譲位して出家するのです。もちろん簡単に仏は加護してくれませんので、譲位してすぐに亡くなることもありますが。

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10世紀後半から11世紀初頭の天皇を例に挙げてみます(私はこの時代しか分かりませんので)。在位年数はかなり大雑把に書きました。
  村上天皇 在位21年あまり。在位のまま死去
  冷泉天皇 在位2年足らず。安和の変のあと譲位
  円融天皇 在位15年足らず。藤原氏の権力闘争で譲位
  花山天皇 在位2年足らず。藤原氏の権力闘争で譲位
  一条天皇 在位25年足らず。病気で重体となり譲位
  三条天皇 在位4年半。眼病と藤原道長の圧力で譲位
というわけで、在位のまま亡くなることのほうが珍しかったのですね。在位年数も短い人が多いです。権力闘争の勝者となった藤原氏に近いかどうか(外戚関係の有無)などが問題だったのですね。
さて、明治以降、天皇は終身制で、位を下りることはできなくなりました。戦後になって

    「象徴」

という新しい天皇像ができてもそのルールは変えられることがありませんでした。
新しい皇室典範ができるとき、三笠宮崇仁親王が退位の規定の必要性を訴えたそうです。昨年、皇室史上初めて100歳を迎えた崇仁親王が若き日にこういうことを言われたのですね。崇仁親王は、譲位の規定がないと「何人も、いかなる奴隷的拘束を受けない」という日本国憲法第十八条の精神に合わないと考えたのだとか。しかし政府はこの意見を取り入れず、従来の終身制を維持する形で新しい皇室典範を定めたのでした。将来を見通していたのはどちらだったのでしょうか。政府は、まだ40代だった昭和天皇の譲位ということはイメージできなかったのではないかすら思います。

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