天皇の退位(2) 

「皇室典範」という、なんだかいかめしい名前の法律は、旧来の名称そのままで、中味を改めただけで戦後新たにスタートしてしまいました。いっそのことわかりやすく「皇位継承法」とでもすべきだったと私は思っているのですが、そんなことは今さら言っても仕方がありません。
憲法の中に「皇室典範の定めるところ」という言葉が出てきますので「皇室典範」という名前を改めたら、憲法の該当箇所も改めねばならず、面倒ではあるでしょう。しかし、「皇室典範」は法ではなく、皇室内のうちわのルールだと思っている人はかなり多いはずです。学生に聞いてみると「皇室典範は

    天皇が決める

ものだと思っていた」という者が少なくありません。国会で決めると言うと驚きの声が出るくらいです。
第二次世界大戦後はいろいろなものを変えるチャンスだったのですが、どうしても保守的になってしまうのですね。
はるか大昔に遡って言うのですが、世襲になってしまった時点で、もう天皇には政治の実務など執ることは諦めさせるべきだったとすら思います。はるか大昔、というのは極端でも、少なくとも「象徴」となった戦後は政治的な言動を事実上禁じたわけですから、それならそれで

    文化的な存在

であればいいのだと思います。神事をおこない、和歌を詠み、稲を刈り、人と会い、人をいたわる存在であればいいのだと思います。
思い起こせば28年前のことになります。昭和63年の秋から翌年にかけては、社会にあまり明るい雰囲気がありませんでした。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

天皇が寝たきりになって、毎日「今日の天皇の血圧、脈はいくつ」というのが新聞に載って「下血があった、吐血した、輸血をどれくらいした」などもしょっちゅう記事になっていました。テレビのニュース速報にまでそういう数字が出ていました。
国民が天皇の健康を願い、病状を案ずるというのはよくわかりますが、それゆえに老体の天皇が無理に生かされている、

    延命措置

が取られている、という感じがしたのも気の毒に思いました。もしあのとき天皇がすでに位を降りていたら、亡くなるまで容態はあそこまで表に出ずに済んだのではないかと思いますし、延命措置もさほどおこなわれなかったのではないでしょうか。
天皇が亡くなったあとの「自粛」もいいものではありませんでした。歌舞音曲を自粛する、というのは前時代的でしたし、自粛ならまだしも、どう考えてもあれは「公粛」だったではありませんか。
あれがあって、阪神淡路大震災の時にも意味があるとも思えない「自粛ムード」が再現され、何だか明るく振る舞ってはいけない、

  自由にものを言ってはいけない

というおかしな空気が満ちてきたようにすら思います。国家が異様な怪物のようになって、公権力が唯一無二の正義であるかのように振る舞い始め、人々は声の大きな人の前で萎縮し、あたかも政治家が国家を代表しているかのように政治家自身が思い込んでいるような時代になりつつあるのではないかとさえ感じられます。

スポンサーサイト

コメント

政治と天皇

このところの新聞報道から見ますと・・・

・今上天皇は6年前から生前退位したいと周りに伝えていた。そこで宮内庁は内閣府に打診したがなんら回答がなかった。

・今上は1年前、生前退位のことを、さらに強く求めた。ふたたび宮内庁は内閣府に打診したが、こんども回答がなかった。

・今上は事前にNHK記者に漏らしたうえで、ビデオメッセージを収録、放送した。

今上天皇としては、ギリギリの選択だったんでしょうね。思い付きというようなものではなく、熟考に熟考を重ねたうえでビデオメッセージに至ったのだと思います。

なぜそこまでせねばならなかったのか? ですが、「日本を戦前の社会に戻したい」「天皇制も憲法も、明治時代のものこそ正しい」と考える勢力が力をもっていて、政治に圧力をかけているから。大手メディアは、なかなか取り上げよいうとしませんが、その勢力とは日本会議とよばれる組織で、このひとたちは本気で活動をしています。

このたびのビデオメッセージは、日本会議の圧力に対する、天皇の抵抗のように思えてなりません。

♪やたけたの熊さん

分かりやすくまとめていただき、ありがとうございました。
きちんと調べることもせず、思い付きを書いてしまいました。
天皇の退位に否定的な「知識人」たちの意見をいくらか読みましたが、詭弁が目立ち、困惑するほどでした。
後期授業の最初にこの話をしますが、参考にさせていただきます。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/3993-f0ea719b