右とか左とか 

天皇の退位にまつわることを書いたのですが、こういうことを書くとすぐに「右翼ですか?」「左翼ですか?」という人がいます。
私は怒りをもって言い返したい。何なのですか、それは、と。天皇の言わんとするところに賛成したら右翼で、反対したら左翼なのですか? 天皇をそんな政治的な存在としか考えられないのですか? 右翼、左翼はフランス議会に端を発する言葉だと仄聞しますが、それと天皇の退位に何の関係があるのでしょうか。普段、怒ることの少ない人間なのですが、こういうことを言われるとかなり頭に来てしまいます。
私は、天皇制というのは

    日本文化の問題

だと思っており、その立場からいろいろ考えることがあるのです。無理やり政治に結びつけたい方は、それはどうぞご自由になさっていただけばいいのですが、私には関係のない話です。
平安時代文学を勉強していると、天皇の存在はどうしても無視できません。平安文学の背骨をなしている八代集は勅撰和歌集、すなわち、天皇の命令によって編纂された歌集なのです。

    『源氏物語』

の主人公は天皇の子であり、妻は天皇の姪であったり、孫娘であったり、娘であったりします。彼が不倫した結果産まれた子は天皇になります。作者の紫式部は天皇夫人(中宮)であった藤原彰子の女房で、『枕草子』の作者もやはり中宮藤原定子の女房でした。
今とは比較にならないほど文学の世界では天皇の存在が大きな意味を持つのです。

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天皇は恋歌も読みました。哀しみの歌も詠みました。漢詩も作りましたし書道の巧みな人も楽器の名手もいました。天皇自身が文学、音楽その他の芸術に深い感心を持ち、積極的に関与していたことも疑いの余地がありません。
天皇はあちこちに顔を出さねばならない大変な仕事です。競馬の天皇賞にも出かけられ、いつぞや優勝したイタリア人の

    ミルコ・デ・ムーロ騎手

が馬から下りて最敬礼したこともありました。
相撲の観戦もしばしばされます。天覧相撲といって土俵上から横綱などが一礼するようです。
文楽では、昭和天皇が戦後すぐに大阪で「重の井子別れ」「千本の道行」をご覧になりましたし、今上は嶋太夫、英太夫、文雀らによる

    葛の葉子別れ

をご覧になったことがありました。あのあと、千秋楽までの間、いくらか入りがよくなったような気がする、とある技芸員さんがおっしゃっていました。「天皇が行かはったらしい」「どんな芝居を見はったんやろ」と関心を持つ方がいらっしゃったのかもしれません。
こういうことが文化を支える力になるのです。戦後「象徴」となった天皇が競馬を、相撲を、野球を、文楽を観ている。短歌を詠む天皇、魚を愛し研究する天皇。日本とは日本文化であると言ってもよいと思うのですが、それを愛する天皇の姿が象徴そのものなのだろうと思います。右とか左とか、そんなことはどうでもよいことだと私には思えます。

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