文雀師匠 

文楽人形遣いの吉田文雀師匠が亡くなりました。
88歳でいらしたとのことです。東京出身で、入門されたのはあの吉田文五郎。私の世代では幻の名人です。
二派分裂のころは因会にいらして、先代玉男師匠ともずっとご一緒だったようです。玉男、簑助というコンビはあまりにも有名ですが、おつきあいの長さと言うことからいえば玉男、文雀のほうが長く深いものがあったかもしれません。文雀師匠は玉男師匠の左をお持ちになったこともあったようですし。
そういえば、『曽根崎心中』を玉男、文雀で拝見したこともありました。
西宮市の「夙川(しゅくがわ)」という川を下ったあたりにとても瀟洒なお住まいを構えられていて、表札もとても洒落た感じで、「吉田文雀」と横書きされていました。
私が師匠のご自宅の近くを通るのは阪急電車の夙川駅からひたすらこの川を下って西宮市立図書館に行く時か、西宮神社にいくときくらいでした。一度師匠のお姿をお見かけしたこともありました。
申すまでもなく、師匠の人形は母性のあたたかみに魅力があり、典侍局とか
お柳とか渚の上とか狐葛の葉とか。玉男、文雀で目に焼き付いているものに『良弁杉由来』「二月堂」があります。「そんならあなたが」「そもじが」。泣かずにはいられませんでした。狐葛の葉は、今の天皇が在位二十年で大阪に来られた時にご覧になった演目でした。嶋師匠の切場で文雀師匠の葛の葉。
お柳が緑丸を見る様子、葛の葉が童子を見つめる姿、渚の方が鷲にさらわれゆく我が子を茫然と見送るありさまなど、胸がいっぱいになるほどでした。
婆首でも他の追随を許さないものがありました。『菅原』の覚寿はその代表的なものだったと思います。凛とした婆の性根をあれほど出せる人はなかなかいないだろうと思います。これもやはり玉男(菅丞相)、文雀でした。
当たり役を羅列していったら、それだけで大変な量になってしまいそうです。
歌舞伎の当代坂田藤十郎、当時の扇雀さんとのご縁で、千(扇)の雀から一羽もらって文雀と名乗られたようにうかがいました。とてもきれいなお名前だと思います。
せっかくおなじみになった「文雀」のお名前、今すぐにでも和生さんが継がれたとして異存のある方がどれくらいいらっしゃるでしょうか。
和生さんほどの方ですから、やはり襲名披露に一幕設けるのは当然として、一年前には公表しなければならないでしょう。早いかもしれませんが、ぜひ来年の秋にでも、遅くとも二年後の春にはこの立派な名を継いでいただきたいものです。
玉男、勘十郎、簑助、文雀、というのは私にとって最初に接した名人たちのお名前なのです。ぜひまた番付に揃うことを願っています。
文雀師匠とは個人的にお付き合いがあるはずもありません。なんといっても世代が違いますし、あちらは天下の人間国宝。どちらかというと簑助一門の方とお話しさせていただくことが多かった私などおそばに近づくこともできませんでした。それでも人間国宝になられたとき、歌人の松平盟子さんと一緒に楽屋にお邪魔してお祝いを申し上げたことがありました。師匠はとてもにこやかにお話しくださいました。その当時から膝があまり良い状態ではいらっしゃらず、足を投げ出した状態でお話しになっていたのが気にはなりました。
『上方芸能』に私が文章を書いていることはご存じでした。あるとき、私が間違ったことを書いてしまい、編集部に師匠からご指摘がありました。まことにお恥ずかしいばかりでした。しかも驚いたことに、その直後に師匠から私の自宅にお電話を頂戴しました。いきなり「文雀でございます」って、ビックリしたのなんの。私の間違いについてやさしく懇切にお教えいただいたうえ、「また何かわからないことがありましたら、いつでもお電話ください」とのこと。送受器を持つ手がガクガクするくらいでした。
電話では私なりに失礼のないようにお話ししたつもりでしたが、やはり直接お礼とお詫びに行かねばと思いました。
次の公演のときに楽屋にお邪魔しましてご挨拶しましたら、「今、時間ありますか?」とおっしゃいます。「はい、もう今日は何も予定はございません」とお返事致しますと「では床山に行って首(かしら)のお話でもしましょう」とのおことばを賜りました。そして床山部屋でいろいろな首を取り出してはお話ししてくださいました。完全な個人授業で、申し訳ないやら光栄に存ずるやら。今思い出しても、ただただ「師匠、ありがとうございました」と感謝申し上げるほかは何もできません。

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コメント

文雀さん

藤十郎さん、特別な、素敵な思い出ですね。

私は、二回目の文楽鑑賞で文雀さんの人形の美しさに気付いたから、また文楽を観たくなって、文楽の楽しさや感動を見つけられたのだと思います。
文雀さんは、すでに70代だったのですが、それからもたくさん舞台に出演してくださって、観客として本当に幸せな時間をいただきました。

文雀さんの人形に出会えて良かったです。

♪meiさん

mei さんにはmei さんだけの文雀師匠がいらっしゃるように思います。
どうか、それを大事になさってください。
それはそうと、また、文楽劇場でお目にかかれますれば幸いです。

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