黒衣を着ること(2) 

八月に素人さんの義太夫発表会にお邪魔しましたが、そのときのみなさんのお姿は着物に裃。つまり袴と肩衣をきちんと着けて、見台に床本を置いて尻敷きを敷いて、恭しく床本を掲げて語られます。
素人のくせに生意気な、などと思ってはいけません。この義太夫教室の指導者でいらっしゃる豊竹英太夫さんがおっしゃるには、

    「いでたち

というのは大事なんです」とのこと。けっして「素人がカッコつけているだけ」ではないのです。それと同じことが幼稚園の文楽人形劇の黒衣で感じられました。
翻って、プロの文楽のみなさんです。左遣い、足遣いさんはほぼ黒衣に頭巾ですが、主遣いはすっかり出遣いが主流になってしまいました。
何ごとも派手に、というのは松竹以来のことかもしれません。昔の写真を見ますと、演目にもよりますが、主遣いさんは肩衣まで着けていました。
しかし今は国立劇場が主催する公演です。にもかかわらず、劇場が開場した時よりもずっと

    出遣いが多くなっている

と思うのです。私はどの場面で出遣いになっているかをメモし続けてきたのですが、最近はほとんど「黒」と書くことがなくなってきました。通し狂言の大序とか、ほんの短い端場くらいになっているような気がします。
松竹時代は商売優先というところもあるでしょうから、やむを得ないとして、最近はなぜあんなに出遣いばかりにするのでしょうか。

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三宅周太郎さんと吉田文五郎師との鼎談で、吉田栄三(初代)師が「(出遣いが多くなったのは)こっちの社長が好きですさかい」とおっしゃっていました。そして、昔は『義経千本桜』の「すしや」でも黒衣であったともおっしゃっています。栄三師ですからいがみの権太を持たれることが多いわけですが、権太は自分の妻子(小仙と善太)を若葉内侍と六代君の身代わりにしたと言ったあと、内侍、六代を呼ぶために

    一文笛

を吹きます。それをあの当時は主遣いが自分で吹いたそうで、だから黒衣でないと困るのだとおっしゃっていました。そりゃそうでしょうね。栄三師が出遣いで吹いたのではお客さんは笑うかもしれません。栄三師は喜んで出遣いされていたわけではないのです。
また、三宅さんはこの鼎談で『忠臣蔵』の四段目(切腹)を出遣いにすることに大きな不満を述べていらっしゃいました。
それに対して栄三師も「四段目は昔から黒衣にきまつて居ります」「四段目が黒で、七段目が出遣いでとり合わせがよくなる」とおっしゃいました。昔から決まっているから今もそうするべきだとは一概にはいえないでしょうが、かりにも

    通さん場

とまでいわれた名場面で、しかも観客も演者も緊張するところです。演者さんのお顔を見たい人もいらっしゃるでしょうが、「ここだけは何があっても黒衣」というところがあってもよいと思うのです。そういうことを演者のみなさんは制作者にいえないものなのでしょうか。また批評家もファンもどんどんそういうことはいうべきだと思います。。
簑助師匠が出られるから、とか勘十郎さんの見せ場だからとか、そういう理由で出遣いにするのは本末転倒。むしろ「あの人形誰が遣ってるの? すごいね」というのでプログラムを見たら勘十郎さんだった、というのもいいのではないでしょうか。

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