文章表現 

「人を逸らさない」ということばがありますが、やはり社会で生きて行く上ではそういうことも大事なのだろうと思います。しかし私は逸らしてばかり。野球選手でいうとボテボテのゴロをトンネルする内野手のようなものです。
世渡りがへたなはずです。
「世渡りがうまい」というと「ずる賢い人」と受け止められる可能性がありますが、そういうつもりではありませんでした。そうではなくて社会常識があるというか、うまく人と付き合っていける人のことを言っているつもりだったのです。
……というように、自分の文章に

    言い訳

をしなければならないことがしばしばあります。要するに他人に理解されないことを平気で言っていることになるのです。言葉足らずであったり、よけいなことを言い過ぎたり、言葉の選択を誤ったり。普段、言葉遣いの大切さを学生に話す立場にある者として、忸怩たる思いを拭えません。
私はこれまでに多くの文章を書いてきました。このブログを書き続けるのも実は自分の

    文章力を錆びさせない

ため、ということが目的のひとつになっているのです。そして、長い年月そういうことを繰り返しているうちに、いつしか心の中で「私は、文章は下手ではない。むしろうまい方だ」といううぬぼれが生じていたように思います。いつの間に損な鼻っ柱の強い人間になっていたのだろう、と最近反省することがしきりなのです。
生兵法はいけません。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

学生に文章の話をする場合でも、テクニックのようなことはいくらでも言えるのですが、それ以上に大事な、人の心をつかむような文章についての話が出来ていないと思います。出来ないのは当然で、私にはわかっていないからです。
たとえば、手紙を書くことでも、どうすれば自分の思いをきちんと伝えられるか、押し付けがましくなくて、相手の心にしみいるように話せるか、そういうことが今なおわかっていないということに、今さらながら気づきました。
何がきっかけで気づいたかというと、この夏にずいぶん多くの文章を書いたことなのです。中には人さまに読んでいただかねばならないものもあって、いくつも

    まずいところ

を指摘されました。それがことごとく的を射ていて、反論の余地もなかったのです。
こんなことをしていたのでは文章を書いて生きていくどころか、そのために人生を台無しにすることもあり得るぞ、と思わないではいられませんでした。
それでへこたれるわけにはいかないので、きちんと訂正した上で、今後はさらに文章を磨かねばならないという

    宿題

をいただいたような気になりました。もともと本を読むのもうまい方ではなく、それゆえにとんちんかんな理解をしてしまうことも少なくありませんでした。竹本越路太夫師匠が「お客を感動させるなんて、ちょっとやそっとの努力でできるものではない」という意味のことをおっしゃっていたことを思い出します。
それでなくても「人を逸らさない」生き方が出来ていないのに、文章までもがこれでは、といたく反省しています。やっぱり人間死ぬまで勉強だんな。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/4017-995ee2be