役立つブログ 

近松門左衛門の作品の中で『心中天網島』は最高クラスの名作だと思います。小詰役者の真似をして客を装う孫右衛門もわざとらしさがなく、そこまでしなければならないほど追いつめられた兄の心がよく描かれていると思います。小春とおさんの義理の立て合いもお互いに許し合っているな関係として素直に感動できます。その中で治兵衛がふらふらしているのがまたなんともリアルです。ダメな奴、あかんたれ、と言われる治兵衛ですが、こういう男はいくらでもいるわけで、かえってリアルなのです。江戸時代だけでなく、

    時代を超えた

人物像で、今でも「お〜い、そこの治兵衛みたいな男!」と声をかけたら、「すみません、私のことでしょうか」と思い当たる男がたくさんいるはずです。少なくとも、私はすぐに「お呼びになりましたか?」と返事をしてしまいます。
この男に対して周りの人たちがどうしてこれほどに誠意を示すのか、見放すことなく温情を傾けるのか、それもまた人間の心理として不思議でもあり、しかしリアルでもあると思います。
おさんと小春は私が最近勉強していることに当てはめるなら

  「こなみ」と「うはなり」

なのです。つまりもともとの妻と、新しい妻。「こなみ」であるおさんは「うはなり」の小春をいじめてもおかしくないのです。
にもかかわらず、二人は相手への義理から自分こそが身を引こうとするのです。「子どもの乳母かまま炊きか」というおさんの言葉を初めて聴いたとき、私は「あほらしい」と思うどころか、この人物がものの見事に目の前に浮かんでくるような思いがしました。「貞女」などということばでは表せないような人だと感じました。

にほんブログ村 演劇へ
↑応援よろしく!

KatayamaGoをフォローしましょう

この作品の上の巻の「河庄」が原作どおりに上演されていないことはよく知られています。今は改作の『心中紙屋治兵衛』の「茶屋」の段を使っています。ほとんど同じなのですが、たとえば善六という人物は原作には出てきません。『心中紙屋治兵衛』によると、善六は治兵衛の従兄で、おさんと結婚したがっていたのに治兵衛に取られ、そのことを恨みに思っているのです。また太兵衛は小春に思いを寄せているのに治兵衛に邪魔されている。つまりこの二人は同じように

    治兵衛が邪魔者

なのです。善六の人物造型など、いささかとってつけたようですが、今の『心中天網島』「河庄」では善六は単なる太兵衛の子分のような感じがします。
『心中紙屋治兵衛』には「茶屋(河庄)」の前に「浮瀬」(うかむせ)の段があります。ここで治兵衛は太兵衛、善六、そして伝海という「石町の出家」に騙されることになります。今の「河庄」で二十両の証文の話が出てくるのはこの「浮瀬」で騙されたことを指しています。
実は最近、この「浮瀬」の

    あらすじ

を確認したくなったのです。しかし『心中紙屋治兵衛』のあらすじなど、ネット上に出ているものでしょうか。そう思いながらあれこれ調べていると、へたな文章ではありますが(笑)、あらすじが書かれているものがありました。
文章はへたでも確認さえできればいいので読もうと思ってそのページに行ったら、なんと私がずいぶん前にこのブログに書いたものでした。
このところ、文楽について少し勉強しているのですが、意外にこのブログが役にたっています(笑)。自分に感謝です!

スポンサーサイト

コメント

役に立つ

実はワタクシ原作にないあの二十両の話、
どこから出てきたんだろうと謎だったのです。
今回のお話、「役に立ち」ました。
ありがとうございました。
ところで昨年の四月公演のパンフレットで
林久美子さんが現行「河庄」について、
「原作の意図が伝わらない所もある」と
お書きですが、これは如何思われますか?
私は「時雨炬燵」ほどの改変はないような
印象を受けましたが。

♪cotaさん

すっかりお返事が遅くなってしまいました。
厳密に読むと気になるところが次々に出てくる、というのが学者の性(さが)のようなものでしょうか。林先生のお書きになた者をきちんと拝読していませんのでなんとも言えないのですが、どうしても原作の意図とずれる点はありそうに思います。
ただ、改作者が悪であるという意味ではなく、現在それを原作として上演することの是非を問題にされているのでしょうね。
それはそうだと思いますが、こういうところは学者さんと技芸員さんが一体になって進めないと動きにくいと思うのです。技芸員さんに信頼されている学者さんが研究費をうまく使って試演するところからでも始めますかね。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/4023-08f69b0e