文楽座 

必要があって、文楽座の跡を訪ねてきました。といっても、難波神社(博労稲荷)、御霊神社、四ツ橋、道頓堀くらいですが(笑)。
行かなかったのは松島の文楽座跡です。西長堀にある大阪市立図書館からもうすこし西に足を伸ばせばたどり着きますが、あの辺りはまるで土地勘がないので、どれくらい足を伸ばすのかが実感としてわかりません。京セラドームの北ですが、京セラドームにすら行ったことないのです。
木津川に架かる

    千代崎橋

を西側に渡るとそこが松島です。昔は木津川と西の尻無川に挟まれて「島」になっていましたが、尻無川は埋め立ての結果、今では南北の流れがなくなっています。千代崎橋をそのまま西へ向かって歩くと(千代崎2丁目)、道の南側にスーパー玉出があります。古地図を参照するに、おそらくその西隣あたりがかつての松島文楽座、後に八千代座になったところだと思われます。当時は、すぐ西に尻無川があって、

    花園橋

という橋が架かっていたようです。地図の上からはそう考えられるのですが、なにしろ行ったことがないものですから具体的にそのあたりを文章で描写することはできません。
その他の「文楽座」ですが、御堂筋を平野町のあたりで西に入ってすぐのところにある御霊神社と御堂筋沿いにある難波神社(明治には彦六座の本拠地となった)はきわめてわかりやすく、石碑も建てられています。これまでに写真を載せたこともあったと思いますので今回は省略します。

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道頓堀の文楽座はのちに朝日座となったところで、今は駐車場になっています。ウインズという馬券売り場(?)の東側です。ウインズのあたりが昔の豊竹座です。道頓堀文楽座はもともと弁天座と言っていたところで、四ツ橋文楽座のあと、昭和三十一年から文楽が本拠地としました。松竹から離れたあともここをホームグラウンドにしましたが、もはや文楽の劇場ではありませんから、朝日座と名前が変わりました。道頓堀には後に東映映画館になった「朝日座」がありましたが、それとは別のものです。残念ながら、駐車場の辺りを見回してもここが文楽座跡であることは何も記されていないようです。いえ、それどころか、道頓堀はすっかり芝居町の面影を失ってしまい、寂しい限りです。
もうひとつが

    四ツ橋

の文楽座。御霊文楽座が焼失したあとに建てられた洋風建築の劇場です。
西横堀と長堀が交差するところに橋が四つ架かっていましたので「四ツ橋」。来山の「すずしさに四つ橋を四つわたりけり」で知られます。四ツ橋の東にあった佐野屋橋(つまり長堀に架かっていた)は、今でも「佐野屋橋」バス停でその位置が偲ばれます。
長堀通りのひとつ南側の小さな通りのところに、今は

    大丸契約駐車場

になっている、パーキングビルがあります。そこがまさに文楽座の跡。ここもあいにく何も記されているものがありません。そんなものいらないよ、というお考えもあるでしょうが、石碑とか高札のようなもので曾ての姿を偲ぶことができればいいな、と散策好きの私などは思うのです。

四ツ橋文楽座あと
↑四ツ橋文楽座跡

佐野屋橋バス停
↑佐野屋橋のバス停

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コメント

四ツ橋文楽座

その昔、四ツ橋文楽座の中が見てみたく
て映画「浪華悲歌」のDVDを買いまし
た。劇中に「野崎村」のシーンもありま
すが、人形の顔も遣い方も違っていて興
味深いです。今では動画サイトで見られ
るのでDVDの出る幕がなくなりましたが(笑)

♪やなぎさん

溝口健二さんですね。私もDVD欲しいです。一人で観たら涙が出るかも。
あぁ、野崎村だったのですね。今はもう、あとかたもありません。

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