十代目若太夫披露公演(2) 

「市若丸初陣」は、今はあまり上演されません(平成元年東京公演が最後)。板額が我が子の市若丸を切腹させるのが何とも残酷な話で、受け入れられないのでしょうか。
三代目呂太夫改め十代目豊竹若太夫はこの演目について、この翌月の『幕間』にコメントを残しています。それによると、「市若丸初陣」は

    五代目豊澤廣助(松葉屋)

が摂津大掾を弾いたときの朱譜が、若太夫の三味線を弾いた綱造のところに残っていたのだそうで、それで綱造に稽古してもらったのだとか。若太夫も三代目越路太夫の語った「市若丸初陣」は聴いていたそうですが、それとはずいぶん違っていたのだそうです。
若太夫の名はなんといっても豊竹の元祖。しかし、初代、二代目こそ有名な方ですが、その後名前が小さくなったように思います。それをふたたび大きくしたのが十代目でした。この方は徳島の出身で、二代目呂太夫門下。最初英太夫(本名の英雄にちなむ)と名乗り、その後七代目嶋太夫、三代目呂太夫を経て若太夫を継いだのです。嶋太夫を名乗った時点で将来の若太夫が視野に入っていたのかもしれません(二代目若太夫は竹本志摩太夫、竹本島太夫、豊竹島太夫を名乗っていた)。十代目は

    人間国宝

にもなられて、押しも押されもせぬ、後世に名を残す若太夫となられたと思います。「合邦」「志渡寺」のような激しく煮えたぎるような演目を得意にされたかと思うと「酒屋」もすばらしかったのだそうです。
昭和四十二年に亡くなりましたので、残念ながら私は間に合いませんでしたけれども。

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この、若太夫襲名披露公演にはほかにも四つの作品が上演されていますが、出演者を見ると「へ〜」と思うこともあります。『恋娘昔八丈』は「城木屋」が出ず、「鈴が森」だけなのですが、お駒が紋昇すなわち二代目桐竹勘十郎でした。丈八は紋弥、のちの三代目玉松。才三郎は紋二郎(三代目簑助)。床は掛け合いで、お駒と才三郎は古住太夫(七代目住太夫)と呂賀太夫(八代目嶋太夫)が交替で語っています。
「中将姫雪責」は前が越名太夫(五代目南部太夫)、後が伊達太夫(七代目土佐太夫)。いずれも美声で知られた太夫です。二代目喜左衛門が土佐太夫を弾いています。岩根御前の紋昇(二代目勘十郎)と中将姫の紋十郎はイメージによく合います。「堀川猿廻し」の前は三代目つばめ太夫(四代目越路太夫)、後は六代目住太夫。与次郎は玉徳(たまとく。五代目辰五郎)、おしゅんは紋十郎、傳兵衛は作十郎。「道行 旅路の嫁入」は八代目源太夫、七五三太夫らで、三味線は清二郎(初代藤蔵)ら。戸無瀬が紋昇(二代目勘十郎)、小浪は紋之助(四代目豊松清十郎)。
こうやって

    名前を見るだけ

でもおもしろいです。
ほかにも「鈴が森」の「非人」に小紋、紋寿の名前がありますし、「中将姫雪責」の桐の谷は紋太郎(簑助師匠の父)です。
とまあ、こういう具合におもしろがっていたのですが、この日はこのあと

    待ち合わせ

をしていたのです。はたと気がついて時計を見たら約束の時間に遅れそうでした。慌てて資料を片付け、必要なものをコピーさせていただいて、また警備員さんのお世話になりながらエレベーターを降りていったのでした。

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