手書き 

学生のパソコン能力があまり上がっていないように思います。特に顕著なのが、キーボードを叩くのが苦手、という人です。スマホで右手親指の動きは鍛えられていて、あの小さなキーを次々に押さえていく能力は目を瞠るほどです。
私がスマホのキーに触れるのは(左利きなので)左手の人差し指が原則で、親指は使えません。それだけに彼女たちのすることは

    神業

といってもよいくらいなのです。
ところが、パソコンのキーボードを叩くとなると、おそらく私はさほど彼女たちに負けてはいないだろうと思います。なにしろ、その昔は英文タイプライターを打っていた経験もありますから!
先日聞いてビックリしたのですが、「キーボードが苦手なので、私はレポートを書くとき、スマホで打って、それをパソコンに送って、ワードに置き換えてメールに添付して提出します」という学生がいたのです。
私など、あんな小さな画面でレポートを書くことは想像もできません。まず、全体が見えないから考えがまとまらないだろうと思うのです。
もっともそれは、手書きからパソコンに変わったころ「やはり

    自分の手で書いたほうが

考えがまとまる」と思ったかつての経験を思い出させるものでもありますが。
学生から「やはりパソコンは使えた方がいいですか?」と質問されることもあります。私はそういうとき「将来は不要になることもあるのかもしれませんが(たとえばすべて音声で変換できる時代が来るとか)、今のところ使えた方がいいと思います」と言っているのですが、いかがなものでしょうか。

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私は学生時代かなり早く勉強にワープロを取り入れた方です。周りの学生が物珍しそうに私のマシンをのぞきにきたものでした。パソコンは買うお金がなかったので早くはありませんでしたが、文系人間としては遅かったというほどではありませんでした。しかし、同世代の人で、いまなおパソコンはできないという人はいます。メールもできないので、連絡する時はメモ書きなど旧態依然の方法を用いざるを得ません。
原稿を書くとき、今はもうすべてパソコンです。ただ、私も

    昔の人間

ですので、考えをまとめる時に鉛筆でなぐりが気をした上で、パソコンでまとめる、ということは相変わらず続けています。シャープペンシルではなく必ず鉛筆です。
先日、ある詩人の原稿を拝見する機会がありました。高齢の方で、いまもなお手書きなのです。その文字がまたなんとも個性的で、一度拝見したら忘れられないようなものでした。いかにも詩人、こういう文字から

    詩想

が湧くのだな、と思わせるような魅力的な文字でした。200字詰め原稿用紙もなつかしいです。いかにも文筆家、なるほど芸術家といった雰囲気が、その原稿全体から溢れ出てくる、いや匂い立つようでした。何と言っても文字の持つ迫力がパソコンの出力したものとはまるで違います。
パソコンができない、キーボードが叩けない、というと「時代遅れ」の感がありますが、現代という時代を超越して言葉に魂を込め、それを自由に操る詩人の魂のようなものを見ないわけにはいかなかったのです。

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