話しにくい 

私に対して、ほとんどの方はとても話しかけにくいと思います。さすがにそれはよくわかります。何も差別されているのではなく、当然のことだと思います。
ある学生の話です。彼女は耳の不自由な人(若い男性)と親しくしているのだそうです。その人は口元を見てかなり理解するのだそうで、ある程度スムーズに会話はできるそうです。
とはいえ、理解できないことはありますから、聞き返されます。それは別に問題ないのですが、しばしば、理解したふりをして話を流そうとするのだそうです。彼女はそれがいやで、「わからないなら

    わからないと言って

ほしい」と言い、「聞き返すのが悪いような気がするから」という相手と喧嘩になったことがあるそうです。彼女は自分の誠意を理解してくれないと思って寂しい気持ちになったのです。何度でも聞き返してくれればいいのに、どうしてそんなふうに流してしまうのか、と。
ところが、あとで考え直してみたら、相手の気持ちがよくわかった、その気持ちを察することができなかった自分の心が狭かったのではないか、と省みたそうです。
お互いを思い合っているからこそ、喧嘩になってしまったのですから、きっとその後また二人は

    仲良くなった

ことと思います。
この「聞き返すのが申し訳ない」という気持ちは私もとてもよくわかります。遠慮しなくていいのに、と言われてもやはり遠慮はあります。まして聞き返した後で「もう!」といわんばかりの不満そうな顔をされた経験があると「もう二度とこの人には聞き返してはいけない」と心の奥にメモしてしまいます。

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仕事場では、用がない限りまず私は話しかけられることはありませんし、用が済んだらもうそれで終わりです。仕事場ですからそんなものだろうと思います。要するに私は仕事場で「立ち話」をすることがほとんどできないのです。
例外は学生です。学生はほとんど遠慮することなく話しかけてきたり、挨拶してくれたり、メモ書きを渡してくれたりします。「せんせ、小さいホワイトボードを

    首からぶら下げて

歩いてほしいな」と言われたこともあります。そう言ってもらえてありがたいです。
私のようにコミュニケーション障害のある者は、学校運営には役に立たないし、そもそも教育者には向かないと思われているはずです。さまざまな場面でそういうことを痛感することがあります。だからこそ私は学生にとってもっとも興味深い授業をして、しかももっとも

    話しかけやすい

教員になろうと思っています。「質問しやすい」「聞きにくいことでも聞けば必ず答えてくれる」「挨拶したらきちんと返してくれる」・・・学生にそう思われるような教員でありたいのです。
知識とか学識とか業績とか押し出しのよさとか顔の広さとか社会的名声とか、大学の教員に求められそうな多くのことがらについては、私は明らかに他の教員に劣っています。
それならばせめて、「聞いたら何でも答えてくれる先生」であありたい。いいかっこうを言うようですが、そのためにしなければならない勉強や労苦を厭う気持ちはありません。

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