ハクサイの花 

学生がこんなことを言いました。
「虫が飛ぶを見ると、『あの虫はなぜ飛ぼうと思ったのだろう』と考えてしまいます。私って、変ですか?」と。すると他の学生が「ちっとも変じゃない」「おもしろい」「すてきな感性だ」と声を揃えて彼女をほめるのです。ほめられた本人はビックリ。自分のことを変だと思っていた(というより、いささか悩んでいた)のに、「変なのではなくてユニークで素晴らしい発想だ」と言われたわけですから。「え? 

    私ってすてきなの?」

という気持ちになったのではないでしょうか。
虫は人間とはまったく違ったきっかけで飛ぼうとするのでしょうから、実際は「なぜ飛ぼうと思ったのか」というのは意味のない疑問かも知れません。「思った」ということを前提にしていますが、何も「思っていない」かもしれないからです。小さい子どもが電車や鉛筆やティッシュペーパーにも意思や感情があると思っているのと似たところがあるかも知れません。
しかし、虫を見た瞬間に、その中に

    自分自身

を見る(あるいは投影する)と、たちどころにそれは意思を持ち始めて、飛ぶにしても襲ってくるにしても「虫の本能」では説明できないものを感じ取ることになるのでしょう。機関車や食パンやネズミが活躍するアニメはやはりおもしろいです。
そしてこういうことを言ってくれる学生がいて、それをみんなで聴いて感想を述べ合うというのは私の授業の特徴だろうと思っています。

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かくして、およそ学問的でない私の授業はどんどん横道にそれていくのです。私も思わず「葉っぱものの野菜は、普通は葉にしか関心を示されません。でもハクサイだって、食べずに放っておいたら春には花が咲いて種ができるわけでしょう。あの花、我々一般人はまず見ないし、もし見たら『だれも注目しないのになえ咲くのだろう?』と感じるかも知れません。でも、ハクサイ『本人』にとっては

    『子孫を残す』

という強い意思のあらわれでしょうかね」などとわけの分からない方に話を引っ張ってしまいます。
こうなると「え? ハクサイって、花が咲くんですか?」「種があるんですか?」という話になって、授業はもはや収拾がつかなくなるのです。
この授業には、他大学から40代の「女子大生さん」がいらしているのです。彼女はいろいろな仕事を経験したあとで看護師になろうと一念発起。近くの大学の看護学科で来春卒業されるのだそうです。いったい

    どういうつもりで

来られたのかよく知らないのですが、このかたもこういう話になるとよく意見を言ってくださいます。学生の「若いお母さん」くらいの世代ですから、発言は格段におとなっぽくて(あたりまえですが)、とても参考になります。むしろ私が何かを教わっている感じになります。では彼女は「こんな幼稚な『授業』なんて」とばかにされているのかというとけっしてそんなことはなく、とても楽しそうに参加してくださっています。
こうして学生のひとことが教室中の話題として広がり、40代女子大生さんを交えてのなかなかいい雰囲気になっていきます。

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