源氏物語逍遥ーいときなき初元結(その2) 

 桐壺更衣亡き後の帝は、かぐや姫に拒まれたあと后妃のところに通わなくなった『竹取物語』の帝よろしく、他の女性では心を満たされることはありません。
 そんなとき、先の帝の皇女が更衣によく似ていると聞かされた帝は入内を申し入れました。皇女の母は弘徽殿女御の意地悪さゆえに躊躇するのですが、その母宮もまもなく亡くなり、心細い身の上となった皇女は入内することになります。「藤壷」と呼ばれます。帝は、なるほど更衣によく似ている藤壷に心動かされ、いつしか心が慰められるのです。食事も摂らず、不死の薬も富士山頂で燃やしてしまった『竹取物語』の帝と違うところで、作者はこの心移りを

    「あはれなるわざなり」

と評しています。所詮弱い人間なのだから、これはこれで仕方がないというのでしょうか。作者の人間観察の鋭さとそれゆえの嘆息が聞こえてきそうです。理想的とすら言えそうな人物が見せる心の弱さをしっかり描くのが『源氏物語』の真骨頂といえるかもしれません。
 光源氏は帝の側を離れないので、しばしば藤壷を垣間見ることになり、

    母の面影

を追うように思慕します。この美しい二人は、世の人によって「光る君」「かかやく日の宮」と呼ばれるようになります。
 
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十二歳になった光源氏は内裏清涼殿で元服します。当時の元服の年齢としては早くも遅くもないでしょう。それまでは少年独特の髪型である「角髪(みづら)」を結っていますが、それを下ろしてひとつにまとめ、頭頂部で束にして(これを髻=もとどり=という)冠の巾子(こじ。冠の後部の上に突き出た部分)に入れます。そして笄(こうがい)を挿して安定させます。髻を巾子に引き入れて冠を加える(かぶせる)ので、この役は「引き入れ」「加冠」と言われます。このとき加冠を務めたのは左大臣でしたが、彼にはひとつの思わくがありました。掌中の珠というべき十六歳になる彼の娘は、かねて春宮から入内を求められていましたが、左大臣は承知しないまま時を過ごしていました。光源氏の妻にしようと考えていたからです。春宮の母である弘徽殿女御にしてみれば、我が子の望みをないがしろにされたようなもので、それゆえに「賢木」巻でその憤懣をぶちまけることになり、光源氏の

    須磨流謫

に大きな影響を与えるのです。それはさておき、左大臣が帝に打診すると、「添臥(そいぶし)」とするのはどうかと促されました。添臥は春宮や皇子が元服した夜に添い寝をする役目の女性で、たとえば春宮居貞親王(のちの三条天皇)が十一歳で元服したときには、摂政藤原兼家の娘の綏子が十三歳で添臥になっています。
 帝の内意を得た左大臣は冠を着けたばかりの源氏に耳打ちをします。どういうことを言ったのかは書かれていませんが「今夜は私の家にお越しいただくことになっています。帝もご承知です」というようなことでしょうか。なんといってもまだ十二歳の少年だけに

    気恥ずかしさ

もあり、はっきりとした返事はありません。
 そのあと帝は左大臣を召して盃を賜り、
  いときなき初元結に長き世を契る心は結びこめつや
   (幼い者の初元結をしたときに、末永くと約束す
   る心も一緒に結び込めたのか)
と尋ねます。すると左大臣は
  結びつる心も深き元結に濃き紫の色しあせずは
   (末長くという心も深くこめて結んだ元結ですか
   ら、その濃い紫色があせないように、若君の心が
   変わらなければうれしうございます)
と返します。帝の問いかけに対して左大臣は儀礼的な返事をしただけかもしれませんが、それでもこの歌からは親として誠意を尽くしたという自負と、やがてこの若者も抱くかもしれぬ浮気心への不安がないまぜになっている様子が感じ取れるでしょう。左大臣は春宮からの要請を断ってまで源氏と縁を築こうとしているのです。それは政治的には炯眼と言えるかもしれませんが、純粋に娘の結婚や幸せを考える場合「色が褪せる」ことだけは案じずにはいられないのでしょう。

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