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大阪に来られたら(8) 

先日、久しぶりに文楽座跡などを歩きました。
御堂筋本町あたりですから、歩くのにも便利なところ。
ご紹介しておきます。

地下鉄御堂筋線、中央線本町駅を下りて12番出口から地上に上がり、御堂筋をほんの数十メートル南下すると、ぽつんと石碑が建っています。

    芭蕉終焉の地

の碑です。ほかに何もないので面白くもなんともないのですが、今はにぎやかなあのあたりで芭蕉が「旅に病んで…」と最期を遂げたのだなと思いを馳せるよすがにはなります。
年度末ということもあってか工事中で写真の撮りにくい状況だったのでやめました。

で、御堂筋を西側に渡ると東本願寺難波別院、いわゆる「南御堂」です。そこから南へ100メートルほどのところにあるのが難波神社。ここが

    稲荷文楽座跡

です。江戸時代に文楽軒がここで興行していますし、明治時代には彦六座が本拠としました。
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稲荷文楽座跡

南御堂の西隣には坐摩神社があり、ここでも江戸時代から人形浄瑠璃の公演の記録があるのです。

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坐摩神社

ついでに西へ足を延ばして大阪厚生年金会館まで行くと、そこはかつての新町。
梅川のいた辺りです。九軒あたりは桜の名所でしたが、ここは夕霧の吉田屋のあったところ。

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元に戻って坐摩神社から700メートルほど北へ行くと御霊神社。ここは大正末まで

    御霊文楽座

のあったところです。江戸時代から公演がありましたが、むしろ有名なのは明治17年から大正15年の火災まで文楽座の本拠となったことです。

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御霊文楽座跡石碑


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御霊神社

先代の燕三師匠が覚えているとおっしゃっていました。師匠12歳の頃の火事ですから、かなりはっきり印象におありなのでしょうね。
そのとき師匠は「御霊神社というたら京町堀やねぇ」とおっしゃいました。私など現代の町名(淡路町4丁目)で考えてしまいますが、ざっくり言うとあのあたりは京町堀なんですね。
大阪市西区京町堀といいますと、私などまず頭に浮かぶのは

    「上方芸能編集部」

ですけどね(笑)。
この編集部、以前は倒れそうな(失礼!)建物の二階のいかにも雑然としたところだったのですが、今は近くのビルに引っ越されて、少しは(またまた失礼)リッチになっています。

御霊神社の町名「淡路町」といえば「冥途の飛脚」ですが、大阪の町は横に(東西に)長くなっていますので、亀屋があったのはもっと東の東横堀の方です。

ついでですから、明日は少し東の方へ行ってみましょう!


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コメント

読み応えがあります

「大阪に来られたら」の連載、大阪の地図と引き比べて読みたいところなのですが、年度末の忙しさにフラフラな毎日でなかなか実行できません。大阪に行くときは、いつもなんば駅か心斎橋駅と文楽劇場の往復でしたので、4月はがんばって文楽ゆかりの地に立ち寄ってみたいと思います。
今日の東京は春の嵐が吹き荒れました。

  • [2007/03/25 21:14]
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  • おはつてんじん
  • [ 編集 ]
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松尾芭蕉

芭蕉さんと同じ伊賀の出身で、子供の時から芭蕉祭りやとか、俳句大会などと親しんできました。今も東京の芭蕉の関係の展示館にたまに行きます。私の生家の前の寺(西蓮寺、天台真盛宗)に、弟子の服部土芳のお墓があります。聞くところによると、死ぬ前に自分の墓石を自分で造った人だそうです。ちなみに私もそのお寺の檀家です。

♪おはつてんじんさん

連日ごちゃごちゃと書いて、お忙しいのに御覧いただいてスミマセン。
最近、どのブログも皆さんのご多忙を反映してかあまり活気がないようです(笑)。私も暇な人間なりに忙しくて(っていうのも変ですが)、あまり訪問できてないのです。
ゆかりの地というと墓が多くなってしまい、申し訳ないのです。例えば東京だと大名屋敷がありましたからそれがおのずから名所になりますが、大阪の文楽ゆかりの地は多くは町人が登場するので、その人の旧宅なんてわかったものではありません。お初天神のような所はありますけどね。v(^o^)
でも、興味を持っていただけるところがあったら是非お訪ねになってください。

♪花かばさん

三重県のご出身という事は承っていたのですが、つい伊勢の方をイメージしておりました。
伊賀でしたか! 忍術はお使いになるのでしょうか?
土芳が自分の墓を自分で作ったというのは知りませんでした。鍵屋の辻を含めて、伊賀も行ってみたいところのひとつです。

ぜひおこしください

私の家は鍵屋の辻の近くです(田舎で言うところの近くです)中学の時は毎日通ってました。同じ位い近くに世阿弥か観阿弥か忘れましたが生まれた所っていう所もあります。私が氏子をしてる神社は、射手神社といって、社名通り武将の崇敬が篤くて、「源平盛衰記」にも書かれてるそうです。読んだ事無いですけど。それによると、木曽義仲追討のため当地を訪れた源義経が、所願成就を祈請したという事です。伊勢から伊賀を抜けて京都へ通じる道の途中にあるので(鍵屋の辻もその途中です)、西行法師も当社を訪れて、「あづさ弓 ひきし袂も ちからなく 射手の社に 墨の衣手」と詠んだそうです。
神社の案内に書いてました。おそますです。

ひらかな盛衰記にも

ご招待ありがとうございます(笑)。

射手神社は文楽では「ひらかな盛衰記」大序の「射手明神(いとどのみょうじん)の段」の舞台ですよね。
それにしても、「近く」の距離が不安・・(笑)。

むかしの境内の広さは・・・

難波神社も、御霊神社も、境内に芝居小屋があったとは思えない広さですね。芝居小屋があったころの境内は、よほど広かったのでしょうか?

♪やたけたの熊さん

どうでしょうねぇ~。
でも、難波神社も御霊さんも坐摩神社もビルがいくつかスポッと入る大きさですけどね。今はなんだかんだと神社内に建物を建てていますが、あれがなければ小屋は入ったようにも思うのですが。
神社全体で文楽劇場ほどの広さはありますから、あれの4分の1の劇場なら作れたかもしれませんね。

距離は

射手神社は家から1キロ以内です。毎年初詣に歩いて行きます。鍵屋の辻も1キロ以内です。

♪花かばさん

あ、よかった。
山越えの三里十八丁じゃ、とかいわれたらどうしようかと思っていたのです。

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