試験をしない 

私は学生に文学や文化の話をしています。特に何かを覚えてもらうということはありません。「教養とは雑多な知識の集積ではなく、さまざまな学問、文化、芸術、社会経験などを通して自分自身を磨くこと」だという信条もあるものですから、磨いてくれさえすればそれでいいのです。
学期末に成績を出すのは学校として「あたりまえ」のことですので、普通なら何か工夫して試験をしなければならないのです。たとえば、私が担当している

    竹取物語

の授業であれば、原文のどこかを取り出して「現代語に直しなさい」とか「この部分のかぐや姫の心情について説明しなさい」とか、そういうことをすればいいわけです。
でも私はそういうことをしたことがありません。
だいたい、1月の終わりに専門科目も教養科目も一気に試験するなんて学生に対して不親切です。一番寒い時期で、学生も朝は眠いでしょうし、うっかり寝坊したらそれで終わりです。若いんだから体力はあるだろう、というのは半分事実で、半分は怪しい言い方です。若いから朝寝坊するってこともあります。また、インフルエンザウイルスもノロウイルスも跋扈している時期ですから、もし罹ったら

    追試験

を受けねばなりません。教養科目ならまた取ればいいか、と、学生の中には諦める人もいるでしょう。どうも試験をする側の都合が優先し過ぎているように感じます。せめて私の科目くらいは単位取得のことは気にせずに授業そのものを味わってほしいという気持ちになります。

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私は文学部国文科出身ですが、国文学より国語学のほうが試験が多かったかも知れません。全体としてはは試験よりレポートが多く、いくつかの試験が終わるとそこから締め切り日まで原稿用紙(古ッ!)と向き合う日々でした。
全部で100枚くらい書くのは当たり前でしたし、ひとつの単位を取るのに40枚も50枚も書いたこともあります。
試験は一発で終わりますがレポートは

    延々と続きます

ので、どちらがしんどいかわかったものではありませんでした。
そんな話を授業中にしたら、学生が不思議そうな顔をしていました。やはり彼女たちには「試験が当たり前」なのですね。
私は、今はレポートすら書いてもらうことはありません。そのかわり学生には授業中にいろんな

    問いかけ

をして、それに対する意見を書いて提出してもらっています。これも賛否があるに違いないのですが、私は今のところ代える気はないのです。一生懸命考えてくれる学生と、いいかげんなことしか書かない学生はすぐにわかります。とてもしっかりしたことを書いてくる学生もいて、こちらが教えられることも少なくありません。

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