田舎歩き(2) 

1月2日。この日も朝早くから出かけることにしました。
元旦はやはり初詣の意味がありますが、この日はまったく別の目的でした。
このあたりは長州戦争(第二次長州征伐。四境の戦い)の芸州口の戦いの舞台となったところです。
山側の戦いの跡は私のいる宿から山に向かって歩いて30分くらいですのでしょっちゅう行くのです。しかしもうひとつ、

    彦根藩

と長州藩が戦ったところについてはあまり行っていません。特に川向こう、すなわち長州側にはなかなか行けないのです。そこで今回は意を決してぐるっと回ってみることにしました。
片道3kmくらいですが、これを2時間かけて歩く、ゆっくりとした散歩です。
川を下っていくと土手に案内板があり

    竹原七郎平

についての説明が記されていました。この人は幕府の先鋒となった彦根藩の使番だった人で、三十九歳。慶応二年(1866)六月十四日の未明、幕府軍の軍使となって従者とともに馬で川を渡ろうとしたというのです。
未明と言いますから偵察か先陣かと思うのですが、伝えによれば幕府の使者として長州に降伏を勧告する封書を高く掲げて行ったと言うのです。しかし、未明に封書を掲げてわかるものでしょうか。
ともあれ、彼が川を渡ろうとすると、長州側の竹やぶに身を潜めていた岩国の民兵団であった戢翼団(しゅうよくだん)が一斉に銃撃して、七郎平は命を落とすことになりました。

芸州口の戦い古戦場跡(大和橋近く)201712
↑芸州口の戦い古戦場跡の説明板

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私は川を渡って長州側に行きました。
こちら側にも竹原七郎平に関する遺跡がありました。
こちらの説明では竹原七郎平は「先陣をきった」ということになっています。実際、竹原への銃撃をきっかけに戦争が始まっています。

和木町竹原七郎平渡渉地点の碑20170102
↑竹原七郎平徒渉地点の碑

この話には後日談があって、竹原の首を落とした戢翼団の団長、品川清兵衛が竹原の懐にあった妻からの手紙を見つけます。そこには息子が亡くなったので、あなたは無事に帰ってきて欲しいということが書かれていたというのです。品川は自分も最近息子を失っていたので感に堪えず落涙し、近くの安禅寺の境内に「彦根戦士の墓」を建てたというのです。
この寺には行きたかったのですが、地理がわからず、次の機会にすることにしました。
長州側では幕府軍に川を渡らせることがなかったというのが誇りだったようで、「封境之地」という立派な碑がすぐ近くに建てられていました。

四境の役 封境之地の碑(和木町)20170102
↑四境の役 封境之地の碑

こうして私はさらに長州川の道を川沿いに歩いて、上流の橋まで行ってふたたび芸州側に戻ったのでした。

和木町の藪20170102

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