本を書くということ(2) 

大学での専攻として文学を選んだとき、いつか自分の名前が背表紙に載った本を書きたいと思ったことは否定しません。それは夢のようなものでした。しかし、恩師のおかげでその夢はかなり早く実現し、うれしさのあまり、さんざん苦労をかけた父の墓に手向けたこともありました。
今度は自分の企画で本を出せれば、という思いが湧き出てきました。世が世なら、書き溜めてきた歴史エッセイの

     自費出版

あるいは研究費の補助を受けての出版ということができたと思うのですが、その後の事情の変化で、それはもう無理だと観念しました。かといって、私などに出版依頼が来るわけがありません。
そんなときに、文楽で『菅原伝授手習鑑』を観ました。平成十四年の四月で、「寺子屋」は首実検が綱太夫さんでいろは送りは英太夫さん。英さんは当時の燕二郎さんと組んでの語りでした。これがとてもよかったのです。
そのときに英さんと本が作れる、という直感があったのかも知れません。その二年後くらいに英さんに「ちょっとうかがいたいことがあるのですが」と時間をとっていただき、ミナミの英國屋で待ち合わせました。余談なのですが、私が早めに英國屋に着いたら、なんだかとてもインテリっぽい人が難しい顔をして本を読んでいらっしゃいました。

    竹本貴太夫さん

でした。貴さんは英さんに何かご用があったらしく、そこで英さんと待ち合わせて、そのあと英さんが私のお話に付き合ってくださることになっていたようです。やがて英さんが来られ、貴さんと少しお話しなさったあと、貴さんはお帰りになりました。貴さんのお声は太さがあって、さすがは太夫さんだと思いました。貴さんは掛け合いで女性、特に姫などを語ることが多かったのですが、違うんじゃないかな、と思いました。
横道にそれました。そのあと、英さんに私は思い切って自分の計画をお話ししたのでした。(続く)

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