本を書くということ(3) 

英さんは当時50代の後半で、本を作るのは「まだ早い」という感じでした。たしかに越路太夫師匠が『四代竹本越路太夫』を出されたのは文楽劇場開場のときで七十一歳でした。ただ、出版自体はまだ先になるとしても、そのつもりで取材させてもらいたいという思いは伝え、英さんも了承してくださいました。
正直に告白しますが、私はそのとき、かなり安易に英太夫さんのタレント本のようなものを作ろうと思っていました。2年も取材すればそれくらいの原稿は書ける、という極めて無責任な考えでした。
ところが、幸か不幸か、世の中は不況の嵐が吹き、出版事情はさらにひどいものになりました。安易な本など作っても売れないし、

    何の価値もない

ことがわかってきたのです。また、私の耳がついに末期的になり、仕事は不調、収入は激減、あげくには呼吸器の持病が再三生死にかかわるほどに悪化。もう踏んだり蹴ったりの日々でした。
この本の制作はその時点でほとんど諦めていました。ただ、あるとき英さんが「まあ、ゆっくりいきましょう」と言ってくださったことと、編集担当にSさんという敏腕の女性がついてくださり、その方が粘り強く支援してくださったことで何とか踏みとどまることができました。
また、インタビューや文字起こしの作業で、耳を悪化させた私にはとてもありがたい助っ人が登場してくれました。私は勝手にその人たちのことを

    エンジェル

と呼んでいるのです(笑)。つまり私がチャーリーですね。といっても吉本の浜さんじゃないですよ。アメリカのテレビドラマの話です。
こういった方々の支援を得て、本の体裁が決まってきました。英さんのタレント本ではなく、「英太夫の話をきっかけに文楽について語ろう」というのがコンセプトになったのです。私は文楽のこと、英さんのことなど、文楽劇場の図書閲覧室や大阪の府立、市立図書館などに通い始めて必死に勉強しました。それを研究書ではなく一般書らしくわかりやすいものに書き下ろしていく作業は苦痛でもあり楽しくもありました。(続く)

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