河童(4) 

芥川の「河童」を読んでいると何だかこちらまで自己嫌悪に陥りそうで胸の苦しみを覚えます。
芥川の河童に寄せる思いは、たとえば二十八歳のときに小穴隆一宛に書いた手紙にもうかがえます。
この手紙の中で芥川は「この頃河童の画をかいてゐたら河童が可愛くなりました」と書いていて、

  短夜の清き川瀬に河童われは
    人を愛(かな)しとひた泣きにけり


などの歌と「水虎問答之図」という絵を送っています。「水虎」は河童の異名です。
芥川は河童に自分を見ていたようですが、だからといって河童が好きだったのかと言うとそれはどうかわかりません。むしろ嫌悪すべき自分というものを見ていて、その自画像が河童であるとするなら、心の奥では嫌っていたといえるかもしれません。

河童20170322
↑水虎問答之図

芥川は「水虎晩帰之図」も好んで描き、むしろ絵としてはこちらが有名かもしれません。

水虎晩帰之図
↑水虎晩帰之図

河童は人間のように見えながら亀のようでもあり、中途半端な姿に見えるためか、どこか悲しげです。
人間とかかわりを持とうにも、使用人として使えても嫌われたり正体を見破ろうとされたりして姿をくらましたりします。
しかしまたとてつもない不思議なパワーを持っているとも考えられ、芥川の小説に河童の世界に裁判官や哲学者や音楽家が出てきても違和感を覚えないくらいです。

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能力がありながら認められることはない、哀しい存在。
芸術家にはしばしばそういう人がいます。生前は貧困に苦しんだり、評価されずに終わったりしたものの、後年高く評価されるなどということがあります。
なぜか私は河童を人間以上に

    文化的な存在

のように見てしまいます。
長々と河童について書いてきましたが、これは今考えている創作浄瑠璃のネタにならないかと思ってのことだったのです。
芭蕉は河童だったのではないか。北斎は、広重は・・・。
そんなことを考えながら、人間のやっていることの

    愚かしさ

を見つめてみたいと思っています。
芥川のように深い人間追究はできませんが、河童の悲しみをなんとか描けないものか、この春休みの最後の宿題として考えているところです。

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