讃岐の道真 

私はうどんが大好きで、昼によく作っては食べています。
うどんといえば讃岐ということになっていて、安いうどんでも香川県産でありさえすればよく売れるようです。「なんとか製麺」といううどん屋さんもいろいろあります。江戸落語で「時そば」といっても、上方では「時うどん」です。
学生の頃、東京の大学の学食でうどんを食べようとしたのです。するとうどんが真っ黒な汁の中に泳いでいてビックリしました。汁は飲めたものではなく、ただ辛いだけ。
私はうどんの汁というのは飲み干すものと思っていましたので、驚きました。私が作るうどんは、実はたいしたことがなくて、いちいち出汁をとったりはしません。

    市販の白だし

です(笑)。それでもあの東京の学食よりはおいしいよね、と思いながら食べています。
香川県出身の小説家の方を知っていて、一度ご自宅を尋ねたことがあり、お父様がうどんを食べにいこうとおっしゃって、善通寺市だったと思うのですが、とある讃岐うどんの店に行きました。どうやら人気店らしく、なんだか客を

    流れ作業

で扱っているような愛想のない店でしたが(笑)、それなりに味わえました。その店にはその後も一度行く機会があったのですが、やはり愛想はありませんでした。

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讃岐というと誰を思い出しますか、と言われたら、私はその作家の人と空海(弘法大師)とかぐや姫のお父さん(おじいさん)を思い浮かべます。空海は讃岐の出身ですし、かぐや姫のお父さんは竹細工を得意とした讃岐の造(さぬきのみやつこ)でした。ほかにもエレキテルの平賀源内(福内鬼外)とか菊池寛などの名も挙げられます。
そして、もう一人忘れてはならないのが

    菅原道真

なのです。都で生まれて太宰府で没した道真でしたが、彼は讃岐守として現地に赴任したことがあるからです。
讃岐に下向したのは四十二歳の時でした。のちに右大臣に至る道真ですが、この年齢の頃はまだ従五位上という位の中流に過ぎなかったのです。
香川県綾歌郡綾川町(あやがわちょう)は「うどん発祥の地」といわれるそうですが、讃岐守の道真はこの地で過ごしたようです。彼が暮らした官舎の跡とされるところが、後に

    滝宮天満宮

となったとされています。文章博士であった道真は「なぜ地方官にならねばならないのか」という思いもあったでしょうし、左遷されたと言われたくない、という気持ちもあったようです。都落ちの気分ですね。しかし、住めば都。根が真面目な人ですから、現地に行くと人々のために尽くしたなかなか立派な守だったようです。讃岐守時代に詠んだ漢詩は彼の詩文集の『菅家文草』にも多数載せられています。
その中に「寒早十首」というものがあり、寒さが早く訪れる(それだけ生活が厳しい)人を詠んでいるのです。
たとえば租税の厳しさに絶えられずに逃亡しながらも戻ってきた人、またよその国から逃亡してきた人、老人、障害のある人などを取り上げているのです。かなり細かく観察しているからこそ詠めた詩だと思います。

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