説話の中の歌人(1) 

説話文学と呼ばれるジャンルがあります。平安時代後期に編まれた『今昔物語集』を筆頭に、『宇治拾遺物語』『十訓抄』『古今著聞集』『沙石集』『古本説話集』『江談抄』『撰集抄』『雑談集』『古事談』『宝物集』などなど。『宝物集』は鬼界が島に流されて、のちに赦免されて都に戻った平康頼の作と言われています。あの『平家女護島』にも登場する、あの人です。
説話文学は、「事実」や「事実と言われていることがら」をもとにして描かれた文学作品の類です。とはいえ、日記文学、歴史物語、軍記物語などとはさまざまな面で異なります。形態上の目立った違いとしては、ひとつひとつの作品がもっぱら短編で、

    あっという間に終わる

ものが基本であることが挙げられます。それら短編の話を集積したものが説話集としての大きな姿を見せます。
「事実と言われていることがら」といいましたが、口承が下地にあって、それを文字化したものもあります。『十訓抄』のように文字どおり教訓的なものもありますし、『宇治拾遺物語』のように昔話風のものを多く持つものもあります。

    芥川龍之介

が説話をもとに『芋粥』『羅生門』『龍』『鼻』『六の宮の姫君』『藪の中』『偸盗』『道祖問答』『好色』などの名作を書いたことは今さら申すまでもないことでしょう。芥川はさすがに慧眼というべきで、このジャンルの作品の中に人間の本質や弱さを見て現代の文学に再生させました。私も決して読書家ではなかった子どもの頃に唯一おもしろいと思った作家が芥川で、今なお大きな魅力を感じる人です。

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私は学生時代の恩師のひとりが説話文学の研究者でしたので、学部のときは『古本説話集』を、大学院のときは『富家語』を扱いました。『富家語』というのは今思い出してもとんでもなく難しいものでしたが、そういうことをすることによって「調べる」とはどういうことなのかを体験的に学びましたからかけがえのない時間でした。後に私が

    『御堂関白記』(藤原道長の日記)

の研究会に、歴史の先生方に混じって参加させていただけたのは、明らかにこの時の体験が生きています。
説話文学に登場する歴史上の人物はさまざまです。竹を切っていてその竹の中から女の子を見つける庶民(もちろん『竹取物語』の類話です)もいますし、神様も天皇も僧侶も貴族もいます。貴族の話と言ってもさまざまで、芸術(文学、音楽、書、美術など)に関することが書かれた者もあれば、武勇譚、奇跡譚、恋愛譚などが残る人もいます。

    安倍晴明

なんて、奇跡的な話ばかりです。瓜の中に毒気があることを見抜いて、中にいたヘビを取り出したとか、呪詛に関するものを掘り出して犯人を突き止めたとか、式神を使って庭の蛙を殺したとか。
和歌、歌人も説話文学には欠かせません。すぐれた和歌は強い言霊を持っていますから、奇跡譚にもなりますし、恋歌の贈答などは恋愛譚にできます。
この春休み、新年度の一般の方へのお話のために説話の中の歌人について少し勉強していましたが、受講者が集まらずボツになってしまいましたので、せめてここに書いておこうというわけでいくらか書いていきます(笑)。

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